私のコロナ感染により、夏休みのワークショップを延期してしまったことについて、長らく気に病んでいた。
どんな小さな催し物だって、自分たちだけでやるとなれば、当然ながら様々な準備が必要となる。 必要なものの買い出し、説明プリントの作成、名札や入金確認の準備、参加者へのご連絡、事前リハーサル・・・そりゃあそうよね、ということばかりだが、どれも抜かりなくやる必要がある。 決定から開催までは比較的時間があったので、いけばなの先生と随時打ち合わせをしながら、お互いが焦らずに事を進めてきた。 いけばなの先生はいつも落ち着いていて、トラブルにも冷静に対処してくださった。 特に血液型信者ではないし、いけばなの先生に直接聞いてもいないけれど、いけばなの先生はA型なのではないかと思う。 着実に準備を重ねた開催1週間前、息子のコロナ発覚。 悲しかった。 息子が悪いとか、コロナが憎いとか、不思議と気持ちは全くわかなかったのだが、愕然として悲しかった。 フェスの当日まで、体調管理をして荷物を揃え、チケットを予約して、予習でフェス出演者の音楽を聴いたりなんかして、それなのに台風で中止になった、そのくらいのインパクトがあった。 いや、来て下さる方がいらっしゃるのだから、それよりもショックが大きかったと思う。 立場で言えば、フェスの出演者や企画側だ。 コロナから復帰して、延期の日程を決めて。 夏休みでもないため、簡単に人は集まらない。 すでに出鼻をくじかれた私は意気消沈していたが、それでもお声がけを手伝ってくださった方もいらっしゃって、結果的に当初の予定人数近くが集まった。 そして当日。 私たちはつつがなくワークショップを執り行うことができた。 墨流しもいけばなも、皆さん初めての方ばかりだったけれど、楽しんでもらえたようだった。 子どもたちは最初は緊張していたけれど、終わりごろにはキャイキャイと遊び始めたので、あぁ良かったと思った。 子どもという存在は、様々なことでそうであるように、大人から見れば独創的な発想をすることが多い。 今回、いけばなにおいてはあまり説明的な説明はせずに、自由に生けてみましょうというスタイルで行った。 葉っぱを細かく切って剣山の四隅に挿している子、切った葉っぱを水に浮かべている子、花の茎だけ切り出してそこに切った葉っぱを差し込んでいる子、葉っぱを割いて結んでいる子、葉っぱで剣を作り出す子・・・ 「独創的ないけばなを作ってみよう」ではなく、単純に「いけばなをしよう」と言ったときに、大人の(私の?)狭小な思考では全く至れないことをそれぞれの子がやっていた。 その独創的で柔軟な発想が、社会に切り込んでいけるか、はまた別の話だとは思うけれど、やはりこういった発想はダイヤモンドの原石なのではないかと思う。 私は羨ましく子どもたちを観察していた。 墨流しはそもそもの性質として思い通りになるものではないので、突拍子もないことは起きなかったが、いつか「〇〇」の文字を自由に書いてください、というお題で何か子どもたちに書いてもらいたい。 このワークショップは年間を通して定期的に行っていく予定である。 次回は12月25日、26日。 このHPの「不定期ワークショップ」も更新したのでご覧いただきたい。 書やいけばなは敷居が高いと思われがちだが、全くそんなことはなくごく日常的なものだ、ということを私たちは基本として伝えていきたい。 お字書き道TALKS note こちらも更新中です。 https://note.com/ojikakido_talks
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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