久しぶりに服と靴を買った。
というか、久しぶりに違う服を着た。 ここ数ヶ月、毎日まいにち、全く同じ服をずっとずっと着続けていた。 もちろん靴も。 紺色のシャツと、ジーンズ風スキニーのような。 元々、会社員を辞めてからと言うもの、毎日同じ人に合わないので日々同じような服を着ていたが流石に全く同じ服を来続けているのはなかった。 毎日同じ服を着ているということは、かつて、特に夏に財布の入るポケットのない服装で近所に自転車で飲みに行くのなら、小さなバッグよりも小さなビニール袋の方が良いと豪語していたことと近いものがある。 冬はコートのポケットがあるので手ぶらで良い。 誰ひとり、賛同を得られなかった。 ちなみに、妊娠してからは飲みに行かなくなったことと、ベビーカーや抱っこ紐がバッグ代わりになっているので、相変わらずバッグを持って出かけない。 この際、破れるまで着て、破れたら服を変えようと思っていたが、色褪せてはきたものの、なかなか破れない。 ジーンズ風スキニーの方は随分とよれよれになったが。 アップル創始者の故スティーブ・ジョブズも、服を選ぶ時間がもったいないという理由で毎度同じ服装をしていたときいたことがあれば、あれは同じと言っても、何着か同じ服を持っていて交換していたのではなかろうか。 私の場合は全く同じ服を毎日着ているけれども。 と言っても洗濯は夜なので、毎日洗ってはいる。 下着は二組を交互に着ている。 私は物を捨てるのは好きだが、所謂ミニマリストでは全然ない。 毎朝部屋に干したシャツとズボンをハンガーから取ってそのまま着る。 一連の行動がなんてエコなのだろうという自賛感と、女性としてどうなのかというほんの僅かな背徳感の狭間で何となく、自分が毎日同じ服を着ていることについて考えていた。 女性としてどうなのかなんて背徳感は、もう全く、その感じを持つこと自体が嫌だなと思う。 毎日同じ服を極めてナチュラルに着ながら、一体全体、どこにそんな自意識があるというのか。 それに、「女性として」という言い方も嫌である。 男性だって女性だって、体の性差と違って、衣服への行動は法を守っていさえすれば自由で良いはずである。 まあ法外であれば捕まる可能性があるというだけだが。 衣服のこだわりは他人の目線を気にするなら、このように思われたい、だからこの服を着る、それで良いと思うのだが、服のおかげをもってこのように思われたい、ということが今の私にはほとんど無い。 変ではない、動きやすい、汚れても良い、すぐ乾く、すなわち気楽な服であれば何でも良い。 しかしながら、衣服についてこれだけ考えているのだから、私は衣服から完全に自由というわけでは毛頭ない。 何物にも囚われない自由な状況、というのは何においてもそう簡単なものでは無い。 私は御籤や占いが好きではなく、それはそんなものに左右されてたまるかという気持ちからだったのだが、そうやって大袈裟に拒否をすることはそれに囚われていることを真っ向から証明するようなものである。 しかし、実際に十数年ぶりに恐る恐るひいてみた御籤の結果を数日後にはきれいさっぱりに忘れていたということがあった。 たぶん私は御籤の類からは自由になれているのではないかと思う。 そうすると、時にはエンターテインメントとして御籤を楽しめるようにもなるのである。 それに、服そのものや“可愛い”ということに興味がないというわけではない。 だから、気温も上がってきた最近を鑑みて、服を買ってみることにしたのである。 授乳できる、家で洗濯できる、着るのが楽、という条件はあるが、ブラウス3枚とスカート、それと日除けの帽子も買った。 早速生成りのブラウスを着ている今日だ。 紺色よりも涼しげだろう。 うるさかった前髪も自分で切った。 明日はマスカラでも塗るのか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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