異様な空気の朝だ。
寒いのは嫌いだけれど、春は苦手である。 花粉と、始まりと初々しさを迫られる感じが。 いもうと家族にいちご狩りに連れて行ってもらう。 「いちご“狩り”」って獣偏で合っているのか、とふと思ったけれど、goo辞書によると「花や草木を、観賞するために尋ね探す」というのもあるらしく、確かに「紅葉狩り」とも言う。 それにまあいちごもある意味ハンティングしていると言えなくもない。 いちご狩りなんて実に20年ぶりくらいで、もぎたてのいちごの味をいもうとが熱弁するのでそれは是非にと、いもうと宅に前泊までして行く。 昔、愛知県の御津というところに毎年春になるといちごを摘みに行っていた。 東京近郊は1500円~2000円で30分食べ放題というところが多いらしく、多くのところが予約制で予約もいっぱいなのだそうだけれど、御津のいちごはお金を払っていたのだろうか。 大方出荷用のいちごの刈取りが終わって、小さないちごや形の悪いいちごがもったいないからどうぞご自由にという形式だったような気がする。 摘みながら、食べながら、小さないちごを箱いっぱいにして持ち帰り、けいこはそれを煮ていちごジャムにした。 フレッシュないちごジャムを食パンにつけたり、ヨーグルトに入れて食べるのが好きだった。 いやしかし、話は戻るが、こういう場合は「いちごを狩る」とは言わずに、「いちごを摘む」という方が自然な感じがする。 「摘む」はその場の行為であり、「~~狩り」」というのは、「花や草木を、観賞するために尋ね探す」わけで、それをするために出かける、という行為も含まれるということになる。 それに、「いちご摘み」では摘んでいるだけで食べている感じが出ない。 やはり、出かけていってハンティングして食す、には「いちご狩り」なのだろう。 横須賀のいちごハウスは大粒のいちごがごろごろと生っていた。 持ち帰りは厳禁で、ハウスの外で食べることも禁じられている。 おそらく出荷用のハウスといちご狩り用のハウスと分けられているだろうけれど、出荷できるくらいの品質のいちごがいちご狩り用ハウスでも食べられる。 大きい方が美味しい、日陰にあるものの方が美味しい、練乳は絶対最初につけてはダメ、といもうとが言うので、そんないちごをぷちんともぎ取ってそのままがぶり。 つい先ほどまでつるに繋がっていたいちごは溢れんばかりにジューシーで甘かった。 おおー、と言うしかなかった。 30分で1700円分のいちごを食べるのには気合いが必要だったけれど、私は何にしても食べ放題という形式が全然好きではない。 でも、スイーツ食べ放題とか焼肉食べ放題よりは、もぎたていちご食べ放題の方が断然嬉しい。 それに、スーパーのパック売りのいちごとはさすがに瑞々しさが全然違う。 いちごに追熟は必要なくて、フレッシュであることが絶頂の果物なのだ。 はちが怖いだのわんわんが怖いだのと言っている姪をそっちのけにひとしきりいちごを食べる。 時間は実質計測はされていないので、何分経っていたのか分からないけれど、いもうとと姪を置いて一足先にハウスから出た。 私のいちご欲は満タンに満たされた。 結局一番最後まで粘って食べていたのは、底なし食いしん坊の姪だった。 穂村弘さんも桝野浩一さんも一風変わった面白い短歌を作るけれど、斎藤斎藤さんの短歌を見てみると一風どころではない変わりように全然意味がつかめない。 その掴みどころのなさが醸す雰囲気そのものが味わいなのだろうけれど、にしてもよく分からない。 分からない、けれど気になる、書いてみた、けれどやっぱり、よく分からない、短歌調で。 雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁 自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい おまえの世界に存在しない俺の世界のほぼど真ん中ガムを噛んでいる シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい いや、今並べてみて思ったけれど、全然分からないのは一番上の歌だけだ。 他のは心象が想像できる。 ある人に、これどうすれば良いか分かりますか?と一番上の歌を送ってみると、全然分からない!と返ってきた。 代わりに、三代目魚武濱田成夫という詩人のことを教えてくれた。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|