ここ数日で、息子の人見知りが始まったように見える。
先日、出産後初めてとある書の集まりの飲み会に出かけた。 私は授乳中なので飲めないが、そのような場に行くのも久しぶりだったので楽しみにしていた。 前日の夜から、夜ごはんをカレーにするなど細々と家をしばし空ける準備をする。 おかあさんがいない日のごはんのイメージはやはりカレーライスかななんて思いながら、ハイローチェアに乗せた息子を台所の入り口に置いて、私はぐだぐだの料理番組のようにカレーの手順を説明しながら拵える。 息子は一応見ているが、ほとんど独り言である。 その夜から息子は、明らかに夫に抱かれると火が付いたように泣くようになってしまった。 まさか翌日の私の外出を察しているとは思えないが、夫が抱くと「ちがーーーーーーーーう!」という感じで大激怒を始める。 そんなに泣いたらそのままひきつけを起こすのではないか、喉が切れるのではないか、虐待が起こっていると児童相談所にへ通報されるのではないか、とそんなことを考えてしまうほど。 私が抱き上げると猛烈な怒りをぴたりと収める。 翌日夫は会社から早めに帰宅してくれたがやや不安そうな面持ちだった。 いざ出かけるときに息子は既に泣き、私はそれを見て胸がぎゅうっとなったが、ここで諦めたら私はこの先外出できなくなってしまう。 互いに試練だと言い聞かせ家を出る。 飲み会の間にも大丈夫?と夫にメッセージを送るが、大丈夫と返ってくるだけだった。 状況の説明が無いのは私に気を使っているのもあろうが、大丈夫ではない証拠なのだろうと思ったが、これも試練だ。 会を終えて急ぎ足で帰ると、いただきものの「うたううあ」のCDがかかっていて、泣き疲れて寝たふりをしている息子と、床の上で疲労困憊でハイローチェアをゆすっている夫がいた。 3時間半ほどの外出で、息子は正味2時間半ほど泣いていたらしい。 顔が見えると怒るので、隠れるようにハイローチェアをゆさゆさとしているのだとぐったりしながら床から夫は訴えた。 一般的に、おかあさんでないと泣くというのは、物事の認識力が上がっているという成長の証である。 しかしながら、泣かれるのは単純に切ないし、泣き声を聞き続けるのは精神的に良くない。 息子本人も過度に泣くことは大きなストレスにもなろうし、疲れるだろう。 ちなみにこれまでは夫と息子がふたりでいても問題なかったし、それなりに仲良くやっていた。 だから余計に夫としては悲しい思いをしているようだ。 徐々に慣れていくしかないだろうから、まずは私がいるところで一緒におとうさんとの触れ合いを増やし、”安心できる人”という認定を息子にさせなければならない。 私は息子に好かれるのはとても嬉しいことで、ひとしおに可愛いものであるのだが、もちろんおとうさんのことも好きになってもらいたい。 夫は積極的に息子の世話をしてくれているし、何より息子のことが大好きである。 それなのに息子に泣かれて切ない顔をしている夫を見るのは私まで切なくなる。 と、ここまでは良いのだが、その一方で、私は少々複雑な気持ちになる。 と言うのも、どうやら私は、息子が夫ではなく私に懐いていることに優越感のようなものを感じているらしいからである。 息子に好かれるのが私で良かった、私はかけがえのない人物として息子から必要とされている、どこかでそんなふうに思っているらしい。 そう言えば以前、息子が夫にとびきりの笑顔を見せていたとき、私の中に軽い嫉妬心と不安感のようなものがくすぶっていることにも気が付いたことがある。 私の方を好きでいてもらいたい、そんな自分の傲慢さや独占欲の片鱗を見て、困ったものだと思った。 夫と息子が仲良くしているのはとても良いことなのに。 息子にしてみれば母である私はいつも一緒にいて何より乳を与えてくれる命綱なのだから、母親に懐くのはほとんど当然とも言えるのだが、息子からの絶大な支持を得て「私でないとだめなのね」と変な勘違いを含んだ自信が奥深いところで根付きそうになっている。 子どもはほとんど場合母親というものをすがりついてしまうので、母親側はそれをさらに肥大させて、どう振る舞おうとも子どもからは嫌われない絶対的な存在として君臨していく。 このことは、子どもを持つ女の人のどこか傲慢な側面、に繋がっているのではないかと思うことがある。 傲慢な側面、というのは、自信に満ちた側面、とも言い換えられるが、それは時に傲慢に見えることがあるように以前から思っていた。 もちろん、子どもを持つすべての女の人がそうではないが。 自分が愛される存在であるという適切な量の自信があることは、個人が個人として成立する確かに大切な要素だと思うが、母子の関係において得られたそれは、その他の社会関係の中においては取扱い注意のように思う。 何でも過剰は良くない。 そしてしかし、適度、というのは難しい。 青森県の立派な瑞々しいにんにくをいただいた。 シンプルに、アンチョビのペペロンチーノを作る。 にんにくをたっぷりのオリーブオイルでゆっくりじっくり熱して、輪切りの鷹の爪も入れて熱し、アンチョビを加えて茹で汁を少し、よく乳化させることが重要といつかどこかで見た気がする。 こういうシンプルすぎる料理は、素材そのものの良さが大切で、調理はごまかしがきかなくて難しいものだ。 それなりに美味しくできた祝日のランチ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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