RECORD RUNNERというものをなぜかいただいて、家で突如レコードが聴けるようになった。
レコードは、叔父さんのものやバーなどで触ったことがあっても、自分の手でまじまじと見ることは初めてだ。 レコードと言えば、ヒロトやマーシーもとても熱くいろんなところで語っているし、私の頭の中では「ベートーベンをぶっとばせ」や「十四才」や「団地の子供」などが否応なくリンクする。 まあでも、私はレコードしか存在しない時代に生きているわけでもないし、音質よりも射抜かれていることが先に立ってしまっているので、レコードそのものに虜にされてしまうことはなかった。 RECORD RUNNERは、私は見たことも聞いたこともなくて、一般的なミニカーの5倍くらいの大きさをしたフォルクスワーゲンのマークが入ったとても黄緑色のかわいいやつで、それをレコードの上に置いて走らせるとレコードが聴けるという、とても不思議なもの。 直置きするのが正しいわけではないのだろうけれど、置く場所がないので床にレコードを直置きして、その車を走らせると音楽が鳴り始める。 床に直置きのレコードに、ミニカーを走らせると、音楽が鳴る。 その上それは、私のおぼろげなイメージ上のレコードの音質感がとてもするもので。 何がどうなってレコードから音楽が流れているのか、もう全然仕組みが分からなくて、それなのに、そんな楽しい感じでLP盤を車が走って回って音楽が鳴る。 もうこんなのは、わぁー、だ。 レコードに刻まれた凹凸を針が感知して・・・などと説明されれば分かる気もするし、それでも不思議な気がする。 別にレコードだけが不思議なのではなくて、カセットテープもCDもMDも何だって目でよく見えないものはその仕組みに不思議さを覚えるけれど、レコードは針と盤が目の前に見えるだけに不思議さは煽られる。 単純なのに、すごいことが起きている!と、まるで男子中学生のように単純な私が思うのである。 BluetoothだのWi-FIだのも、おそらく仕組み自体はそんなに難しいことではないと思うし、きっとレコードの仕組みよりは複雑なのだろうけれど、見えない電気信号については私の思考の範囲外に位置付けられているらしく、そんなに不思議に感じない。 でも、レコードは見える範囲に仕組みがあるものだから、不思議でたまらない。 まあとにかく、車が走ってレコード的にレコードが鳴っている。 ポリスとスティングがつながって、ジョンコルトレーンの聞き覚えがあって、長渕は今の風体からは想像もつかないくらいの華奢で、レコードの紙の入れ物は、もちろんCDジャケットよりもずっと拡大版のデザイン面積があって、なんだか抱きしめたくなるような重みがある。 RECORD RUNNERをいただいた翌日、空き時間を見計らって私は爛々とレコードショップに行く。 何となくレコードで聴きたかったセックスピストルズとチャックベリーはどちらもとても高かったので、エアロスミスとかザフーとかビートルズとかユーミンとかのレコードを7,8枚買った。 レコードって案外重たい。 家に帰ってまた車を走らせる。 ワゴン型なので小回りが利きづらくて、LP盤の内側に行くとスピードが落ちて、当然音楽も遅くなる。 そして燃費がとっても悪いので、単4電池2本はレコード2枚くらいでガス欠になる。 その早々に疲れ果ててガス欠になっている様に笑ってしまう。 既に電池が8本終わってしまった。 このかわいいやつはかわいいやつとして、レコードプレーヤーを買おうか。 BOSEのミニスピーカーを初めて鳴らしたときも私はこんなふうに興奮していた。 今まで家で聞いてきたどの音よりも、豊かで重厚でふくよかで繊細で拡がりがあって。 そのときも、わぁー、となった。 レコードの音質も、高機能スピーカーから流れる音質も、ライブの生音も、どれもそれぞれ好きだ。 本当にどれでも好きだ。 それぞれのその感じが楽しくてたまらない。 愛用しているとても暖かいブーツが破れてしまった。 右足の爪先から靴下の足が覗くというなんとも無様な感じで、それでも、右足から冷たい空気が足先に入ってくるのを騙しながら3,4日はそのまま履いていた。 近所の靴修理屋さんに持っていくと「正直これは買った方が安いですね」と言われて、とても残念に思いながら、ちょうどゴミの日だったようでその辺のゴミ置き場に捨てる。 次の冬、あれがないと困るだろうことは想像がつくので似たようなものを買おうかと思ったけれど、代わりにアディダスのスニーカーを買った。 数年前までヒールのない靴は全体バランスが取れないと、スニーカーなど一足も持っていなかった私が、アディダスのスニーカーとはスタイルとスタンスの変化を感じざるを得ない。 次の冬、寒さに困ったらあれと同じようなブーツを探そうと思う。 今のところ私のファッション性は、好きなフォルムや柄や色以外には合理性にしか変化が向かわない。 でもいつか、日よけでない帽子や度の入っていない伊達眼鏡をするようなそんなスタイルとスタンスの変化が起こるのかもしれない。 が、今のところはそのような種類の変化はどうやったら起こるのかは想像がつかない。 ピアスは良くて、マニキュアは良くて、ブログは良くて、書道は良くて、日よけでない帽子と伊達眼鏡はだめなんてことは、そもそもおかしいけれど。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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