首を派手に寝違えてしまった。
息子を寝かせようと狭く細い場所で私も寝落ちしてしまったのが良くなかった。 文字通り、首が回らない事態。 こんなに酷い状態になったのは初めてかもしれない。 上を向いても下を向いても右を向いても左を向いても、痛い。 無論斜め上も、斜め右も。 八方塞がりである。 ついでに、首だけでなく肩周りや後頭部まで痛い。 物を食べたり飲んだり、サーキュレーターのスイッチをひねったり、食器を洗ったり、洗濯物を取り出したり、くしゃみをしたり、そんなことで激痛が走る。 寝たり起きたり、寝返りを打つのもひと苦労。 当然ながら授乳をするときに力の入れ具合や、首の向きにも要注意である。 下を向けないので、息子の口にうまく乳首を運べず、飢餓状態の息子を何度も怒らせてしまった。 幸い字を書くことにはさほど影響しないので、全くないわけでもないが、字は首を使っていないのだなあと改めて知る。 PCも問題ない。 ベビーカーを押すことは特段問題はないのだが、やはり歩く時間が長くなってくると、色々なところをかばって歩いているのか上半身全体がばきばきとしてくる。 首が回らないので車や人などの確認も大変で、気まで疲れる。 これを書いている今は寝違えてから三日目なのだが、昨日よりはましと言ったところでまだ不自由極まりない。 「寝違え 治し方」など色々と検索してみたが、体操とか冷やすとかそんな方法もあれど、基本的に痛い方向には首を回さず安静に自然治癒を待つしかないらしい。 ぎっくり腰とおそらく仕組みは変わらないのだろうと思うが、解明されていないことも多く、特効薬も特別な治療法もないというのが現状のようだ。 ざざっと検索結果を漁ってみると、内部で炎症が起こっているので寝違え直後は温めない方が良い、マッサージやストレッチも基本的にやらない方が良い、らしい。 血流を無駄に良くしてしまうと、炎症範囲が広がったり、さらに痛みが強くなったりする。 炎症が治まってきたら血流を促して治癒を促進させるべく、温めたり軽いマッサージも効果的なようだ。 また、生理痛や頭痛、歯痛などに用いられる消炎鎮痛剤は良いとのことで、帝王切開の傷用に処方されていたロキソニンが余っていたので服用する。 昔からロキソニンには信頼を置いている私だが、やはり今回の痛みにもてき面に効果を表した。 全く痛くなくなるわけではないが、痛みを気にせずに動くことができるようにはなった。 しかしながら、痛みというのは基本的に身体から危険信号なので、無理に感じなくさせてしまうと逆に危険にもなりかねない。 なるべく首を動かさないよう安静にしつつ、タオルを首に巻いて過ごしている。 これで布の帽子をかぶれば、息子の野球の応援をしに来ているおばちゃんのようだ。 息子は最近、夜に長く寝るようになってきた。 最長5時間ほど、そしておっぱいを飲んでまたこんこんと眠る。 彼が何となしに身体ごと目覚め始めるのは10時とか11時である。 息子も私に似て、基本形は夜型なのかもしれない。 夫が朝型なので、私たちはどちらかの身体の良い方に時間を合わせていると、どちらかに支障が出てくる。 私はフリーランスで元々不規則であることが規則になっているし、どうせ授乳で起きなければならないのでできるだけ会社員である夫の時間に合わせている。 朝は起きないけれど。 というつもりだったのだが、夫も私に合わせていたらしい。 0時までには就寝したいというのは知っていたので、何となくそのくらいの時間に寝られるように私としては諸々早めの行動をし、実際には0時半から1時くらいの就寝になっていた。 しかし夫の身体的には、21時か22時くらいに寝て未明3時とか4時に起きるのが最良らしい。 そういうわけで最近は少しだけ身体が辛い、という申告があった。 とはいえ、夫の帰宅が平均して20時くらいなので、夜ごはんを一緒に話しながら食べて片づけをして、息子を風呂に入れてとなると21時や22時の就寝は不可能と言って良い。 夫も、私や息子との時間を削って寝たいわけではないらしいので、とりあえず23時半くらいには寝室に入り0時くらいに就寝するようにしてみることにした。 習慣付ける訓練によって私が朝型に変えられれば良いのだが、それを実行するのはなかなか大掛かりなことで難しい。 仮に朝型への変更が可能であったとしても、1週間や10日、あるいはひと月ほど連続してそれを保たなければ習慣にはならないだろう。 試したことがないので試してみても良いのだが、私のゴールデンタイムを一時的にでも失うことにはやはり抵抗感があるものである。 それと引き換えに夫は夫のゴールデンタイムを失い続けているのであるが。 誰かと暮らすのはいつでも難しさを伴う。 ここ数年、私は規則的な時間の概念からの解放に向かって暮らしてきたので、いよいよまた大きな転換期なのかもしれない。 夫だけではなく、息子というパラメータも増えて、複雑化している。 あっちが立てば、こっちが立たない。 誰の為に自分を犠牲にした、という言い方考え方が私は劇的に嫌いなので、最終的に自分の為にそうしたのだと言えるように日々を暮らしていきたい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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