片栗粉を買った。
片栗粉を使い切って買うなど、初めてのことではないだろうか。 だいたいいつ買ったか分からなくなってしまって、時折訪れる整理のタイミングで処分して、新しく買っていたように思う。 もちろん使い切れないことを知っているので、最も小さなサイズを。 かつて「片栗粉 大量消費」などと検索でレシピを調べたこともあったが、出てくるのは片栗粉で作る水まんじゅうのようなものばかりで、全く作る気が起きなかった。 それがここ最近では、無理していることは全くなく、どんどんどんどんと片栗粉は消費されていった。 理由は、唐揚げ、である。 息子が偏食で、家でほぼ間違いなく食べてくれるのは納豆と唐揚げとプリンくらいなものなので、これまで揚げ物経験がなかった私も挑戦することになった。 ちなみに保育園では結構何でも食べるらしい。 以前はよく食べた水餃子も卵焼きも、ここのところは食べないことが多い。 以来週1か2か、それくらいの頻度で揚げ物をやっている。 揚げ物一連の所作に慣れてきて、まあまあ品質が安定して作れるようになってきた。 右腕には勲章のやけどの跡もいくつかできた。 カツなどのパン粉を使う料理も二、三度やったのだが、唐揚げよりもハードルがぐんと高いので、というか面倒なので、最近では一般的な鶏の唐揚げ一択となってきた。 鶏の唐揚げは、調味料に漬けた後片栗粉だけをまぶして揚げれば良いので楽である。 パン粉を使うものは、冷凍食品にお任せしている。 唐揚げをやるようになって変わったのは、片栗粉の減りだけではない。 油、チューブのにんにくと生姜も驚くほどに減っていく。 また私は、以前は生肉を素手で触って切るということもしなかった。 カットしてある肉を買っても良いのだがやはり割高なので、ここは仕方なく素手を生肉に染めることにしたのである。 そして、最後の油の処理について、以前書いたように着古した服の切れ端に吸わせることにしたのだが、油吸いの布もぐんぐんと消費されていく。 息子のため、と奮起して始めた揚げ物によってさまざまな消費物が増えたのだが、その全てをひょいと凌駕するほどに揚げ物が美味しい。 鶏肉を揚げたついでに、人参やブロッコリーを素揚げするのだが、これもまた照りがついて甘みが増して美味しくなる。 おいしいものは糖と油でできている、とは名言だと思うが、揚げ物の幸福感というのはかなり高いものであることを知った。 その高幸福感を、自らの手で生み出せるというのもまた高幸福感を押し上げているように思う。 最後の最後、油の飛び跳ねたガスレンジを掃除するのまでを込みにしても、この幸福感は余りあるものである。 ひとつ残念に思うのは、面倒な揚げ物を一気にやろうとたくさん作って次の日に持ち越すのだが、揚げたてと翌日の幸福感の落差である。 冷めても唐揚げ、だし、温め直せば良いのだが、もうあの高幸福感は失われて再起することはない。 業務スーパーで、今まで買ったことがなかった1㎏の片栗粉を手にした。 一緒に飲んでいるハイボールのウイスキーと炭酸水もぐんぐんと減っている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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