「その日は撮影入っちゃってて・・・」なんて言葉を言ってみたかったということはないわけでもないくらいの感じだけれど、本当に「撮影入っちゃってて」なんて予定がある。
去年、バイナルレコーズ社からデビューしているロックバンド「ケミカルボリューム」さんのミュージックビデオに1曲だけ出演させていただいて、それが気に入っていただけたとのことで、今回はアルバム全体の書を担当させていただくこととなった。 このブログはそういった活動報告を全然と言っていいほどメインにしていないので、そういう感じで何を書いていいのかやや困惑気味であるけれど。 撮影は順調と言えば順調で。 ほとんど一発書きに近い状態で行うので、私の持ち得ることの平均値がありありと映し出される。 去年の初めての撮影で手が震えてしまって2時間強も私のせいで撮影を止めてしまったわけだけれど、もうどうにもひよっていても仕方がないのでとりあえずただ書けばいいのだと気を鎮める。 慣れと、撮影場所が私の自宅なので、それはもうほぼ大丈夫だ。 HP内にまとめていくつもりなので、よろしければ下のリンクからご覧くださいませ。 こちらから。 友人から頼まれていた短歌の豆書も結構良い具合にまとまった。 ちいさーい、すごーい、かわいー、の世界観は、やっぱりなんだか好きみたいだ。 自分の過去の俳句を選び出して、「恵美子は行く」の句集もそのうち作ってみようかと思う。 たまに居酒屋などで出会った人に、「書道家です」と言うと、少々驚かれる。 確かにそんな職業、絶対数が少ないから出会うことはあまりないのかもしれない。 ついでに、「アーティストってことですね」と言われると、私はこそばゆくなるというか、つい「そんなのではありません」と否定してしまう。 幼い頃からつい最近まで、自分の名前に大いなる乖離感があったように、自分について「アーティスト」という言葉を充てるには乖離しすぎている。 となると、私は「アーティスト」という言葉に一体どのような価値を付与しているのだろうか。 かつて、アーティストたるものを私は「偉人、変人、奇人、狂人」と括って、自分の中に入ってこないようにしていた。 「そういう人もいるけれど、私とは関係ない」と思ってきた、思おうとしてきた。 その後に私がぶち抜かれた甲本ヒロトという人間もその私の中では「偉人、変人、奇人、狂人」とレッテルを貼って、彼を崇拝しているという人がいたとしたらその人まで避けがちだったように思う。 今だって、ヒロトは「偉人、変人、奇人、狂人」なのかもしれない。 そして私は「偉人、変人、奇人、狂人」の彼に見事にしてやられた。 しかし、私が同時に分かったことと言えば、「偉人、変人、奇人、狂人」と言われている類の人も「とっても普通のただの人間」であるということだった。 「とっても普通のただの人間」が、大いなる努力と大いなる勇気を持ってエネルギーを作品に込めて、それが長い期間存在することに成功し、食い留まって、何か誰かに伝わった、ということだった。 甲本ヒロトは紛れもないアーティストだ。 そして、紛れもないとっても普通のただの人間だ、と、私は言い切りたいわけだ。 岡本太郎の「今日の芸術」に、「子どもの絵は素晴らしいがアートとは呼ばない、社会に対峙するエネルギーを持たないから」というようなことが書いてあった。 アートには、私が私になろうと、私でい続けようとする行為、またそのエネルギーを他者に、社会に発信していく行為、なのではないかと思う。 だから、音なき書道でも、言葉なき陶芸でも、静謐な風合いの生け花でも、ディスりあいのヒップホップでも、アートになり得る。 一方で、アートとは呼べないものだってたくさん存在し得る。 私は、アーティストになりたいし、アーティストになれたのなら、アーティストでい続けたい。 私にとって、この辺りの話は涙ものである。 撮影中、ざーざーざーざー降っていた雨があがった。 明日は早朝から、奥多摩の方までキャンプのようなバーベキューのような釣りのような川遊びのような温泉のような、そんなのに行く。 山の方はきっと、めきめきと秋めいているだろう。 3年ほど前に退職したときにもらったレインコートでも持って行こう。 曇りみたいだから、300円のサングラスもつばの広いハットも要らないだろう。 フジロックの経験が2度もあるから、キャンプはへっちゃらだ。 と思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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