さてさて、来月からの新元号が発表された。
令和、とは意表をついてきたなというのが最も大きな感想である。 このインターネット情報敏速時代、様々な予測憶測が飛び交う中、元号思案の面々はきっと新元号の発表までの秘匿に恐ろしく躍起になっていただろう。 というか、読みやすい書きやすい既存語句にない、といった元号制定の条件に、「国民皆に発表前にばれていないこと」という条件が追加されたくらいの意気込みだっただろう。 だから、やや一風変わった漢字「令」を用いらざるを得なかった節もあるように思う。 かえるくん、予定通り新元号令和元年の子どもになるべく、どんなに早産でも少なくともあと一か月間は出てきてはならない。 無論、5月に入ってもまだ早い。 あと三か月、私のお腹の中でこの世への準備を進めてほしい。 新元号が発表となった昨日の11時半過ぎ、私はお昼を食べながらどきどきとテレビを見守っていた。 菅官房長官が出てきて、元号が書かれている額の傾きで、「命」という文字が見えた気がした。 命!!これまた斬新な元号。 「命和」、だと明和と読みが被ってしまうから、「命知」とかだろうか。 「命」と来たらもう軽々しさとは程遠い重厚感から逃れられない時代になるだろう。 と思った矢先、菅官房長官が額を正面に向け、「令和」と発表された。 随分とすっきりした鈴音のような音感であり、書くとあまり様にならない字面だなと思った。 でも何だか、なぜか、少し熱いものがこみあげてきた。 何だろうか、妊娠のせいだろうか。 時代、という言葉は至極曖昧であり、その内実も雲のようなものである。 しかし、私たちは時代というものを感じ、翻弄されたり、流れに乗ったりと影響を受けて暮らしをしている。 時代、ということに含まれる妙味がおそらく確かにあるのだろうと思う。 私は、時代を飛び越えた普遍的な格言や芸術などに憧れる一方で、現代を生きているということを蔑ろにしがちなのかもしれない。 時代はそもそも今を生きながら飛び越えられるものではない。 時代を飛び越えたという認定は、その時代が終わって随分と過ぎた頃、ようやく大勢の他者から認定されるものだ。 今を生きる、というか今しか生きられない我々全員は、曖昧模糊としたこの時代という大きな生き物に身をゆだねたり抗ったりを真っ当にしていく必要があるのかもしれない。 「令」の字の書き方や、万葉集からの典拠などについて、様々な野次のようなものが飛び交っているが、きっと令和3年にもなればすっかり慣れるだろう。 令和18年頃には、今平成元年の振り返り映像を見て古臭く懐かしく思うように、今この令和発表のどよめきもセピア色になるのだろう。 その頃にはかえるくんも、令和18年には18歳にもなり、お母さんは52歳にもなる。 かえるくんの名前を、以前から私の頭の中で一案出していたものを夫に伝えてみる。 少し前から伝えようと思っていたのだが、満を持しての機会を見計らっていたら言いづらくなってしまって、令和の発表とともに紛れて恐る恐る。 令和の発表やらその他の話題に紛れて、夫はそのメッセージをあろうことかすっ飛ばしていた。 その後無事伝わったようだが、反応が至極薄い。 お気に召さなかったのか。 かえるくんは、ぐるんぐるん、もごんもごん、ぷちぷち、ぶるっ、ぬおーん、どぅるっ、と腹の中で蠢きが大きくなっている。 私は非常に疲れやすく、ひと駅分ほども歩くとひーひーとなる。 歩くのも遅くなって、途中カフェで休憩を挟まないと家までたどり着けないこともある。 妊婦であることは、私の想像よりもはるかに身体への影響が大きい。 無事に行けばあと三か月。 これから始まるテレビドラマの新シーズンの最終回とともに私の妊婦生活も終わる。 全然調べていないが、何か良いテレビドラマがやるだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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