不穏な世の中である。
あまり気にしていないというのも本当だし、少しは気になっているのも本当である。 普通に手洗いうがいをすること、普通に掃除をすること、普通に洗濯をすること、普通に食事をすること、普通に寝ること、普通にワイドショーをあまり見ないこと。 普通でないのは、街中に出るのを控えること、電車に乗らないようにすること。 外食も、なんとなく避けがちである。 マスク以外にも、いきなりティッシュやオムツが買えなくなるのは勘弁して欲しい。 マスクについては、花粉が飛んでいるので早く市販品が戻ってきて欲しい。 経済活動の低下によって立ち行かなくなる企業や人が出てくるだろうと思うが、災害など大規模な事態になって初めて社会は変革を遂げるのかもしれない。 インターネットによる情報社会においては、デマのような情報が流布しやすい一方で、それがデマであるという情報もまた然りである。 情報を精査し、見極める力が重要であるとはよく言ったものだが、実のところ私はそのような仕組みについてすっきりと系統だてて理解出来ているとは到底思っていない。 社会の仕組みなどを考えてみようとしたところで、思考が有耶無耶になってしまうのは、赤子がいてもいなくてもだ。 とりあえずティッシュもトイレットペーパーもまだ足りているので買ってはいないけれど。 ウイルスについては、生物と非生物の中間くらいの存在らしいが、ウイルスやその増殖の仕組みについて理解を深めると日常の対処法もより明確になるのではないかと思う。 手軽にそのようなインターネットサイトを検索してみるが、じっくり読む暇がない。 息子は見境なくべろべろと色んなものに触れては舐めるので、その点は気をつけたいと思う一方で、気をつけられる限界も早い。 外ではあまりものに触れさせない方が良いか。 さて離乳食を進めているのだが、相変わらず、さっぱり進まない。 ミルクもそうだが、かなり食が細いというのか、食に興味がないようで、母として私は心配だし悲しい思いをしている。 ごりごりごりごり、さつまいもやらブロッコリーやらかぼちゃやらほうれん草やらを、そのために買ったすり鉢とすりこぎで潰しているのが本当にこんなにも虚しくやるせないものだとは思わなかった。 ごりごりごりごり、時間も力もかかるのに、ぷいっと口を閉じてそっぽを向かれてしまう。 小分けにするために製氷皿に冷凍するのも面倒だし、そのキューブをひとつずつ解凍して間もなくまるごと捨てることになるなんて、あの、ごりごりごりごりはなんだったのか。 美味しくないのかと思ったが、出汁もわざわざ茅乃舎の出汁をとっているし、実際私が食べてみても悪くはない。 けれども、食べない。 しかし、キューピーのピン詰めのベビーフードのコーンと桃をあげるとくれくれと口を開ける。 自分でごりごりしたものではないが、食べてくれないよりよっぽど良い。 口を開けて寄ってくるのがこんなにも嬉しいものなのか。 また、赤ちゃんの初めてのお菓子である「ハイハイン」も比較的好きである。 そしてまた、食べてくれる喜びを見ながら、ごりごりごりごり、を思い出して曇った気持ちになる。 自分がやった苦労がまさしく水の泡なのである。 食べたいだけ、寝たいだけ、動きたいだけ、そうしたい分だけそうさせていたら良いのだろうか。 食べる量も寝る時間も動きの発達も、一般的な目安がある。 その一般目安と照らし合わせて比べるから、私は悲しくなるのだろうか。 人と比べなくて良い、と方方で言われる昨今であるが、比較や統計から医学やらあらゆる学問が存在するのではないか。 バランス、という言葉を使うと全てはそうなのだが、息子に対してのそのバランスの在処がよく分からなくて悲しくなるのだろう。 でも息子は元気だし、よく笑う。 それでいいではないか、と思ったり、また焦る気持ちが出たり。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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