さて、ほとんど何にもしないをしに行った奄美の旅もクライマックス、奄美空港で成田行きを待っている。
奄美大島の雑感を書いてみたいと思う。 これから書くことは、全日程冬曇りの奄美大島だ。 太陽にきらめきを与えられた元気いっぱいの夏の海と山を見たわけではないので、その辺は差引しながら読んでいただきたい。 奄美大島、これと言った目玉がないところであった、というのが総論かもしれない。 経済は大丈夫なのだろうかと傍目から少し心配になる感じもある。 インターネットの検索でも、「奄美 観光」とやると「~岬」「~展望台」「~自然パーク」「~海岸」のようなものしか出てこないのも頷ける。 島民もあまりたくさんは見かけなかったが、全体的に街が静かで緩やかな雰囲気。 奄美大島の名物と言われても思い浮かぶものがあまりないのではないだろうか。 現に私も黒糖や黒糖焼酎くらいしか思い浮かばなかった。 実際には、黒糖の他に、鶏飯(けいはん)と呼ばれる鶏だしのご飯や、タンカンというネーブルに近いみかんや、豚味噌、あおさ、サーターアンダギーなど色々とあるのだが、どれも物凄く売り出しているという感じはしなかった。 黒糖や黒糖焼酎を押しているという感じもなかった。 ちなみに、タンカンは初めて食べたがかなり美味しい。 車で島を縦断したが、農業や放牧の姿もほとんど見かけなかった。 事実、農産物を積極的に作っているのは奄美大島の離島である喜界島や徳之島のようだ。 これは、奄美大島にはほとんど平地が無いということが大きな要因のひとつらしい。 道路は、海と山に沿って作ったうねうねの道と、仕方がないから岩山をぶち抜いた長い長いトンネルの道が主要道である。 喜界島や徳之島は、人口こそ多くはないが平地があるようだ。 岩山のような気難しい山には開発の手がなかなか伸びなかったのだろう。 あとは、鹿児島県の離島としては断然に屋久島の方が近く、ひとたび屋久杉などの観光のメインを売り出すことに成功したため観光開発の資金がそちらに流れてしまったのではないかと思われる。 これまた奄美に程近くの沖縄は、県も違えば国としても要所であるからそれなりの財源を確保しやすかったのもあるだろう。 つまり、奄美大島はこれまでのところ、開発の優先順位が回ってこず、やや忘れ去られた土地と言うことなのかもしれない。 もちろん開発の話は島民の反対なども起こっていくつも頓挫しているなんてこともありそうだ。 しかしここにきて島民の反対を押し切り、自衛隊が部隊配備があるらしく、その開発は急ピッチで進んでいるとのこと。 これから奄美大島は変わってゆくのだろうか。 また、山肌が大きくも小さくも剥き出しになっているところがいくつもあって、度々地滑りが起きた跡があるのだが、そのため開発どころか補修に忙しいということも見受けられる。 このあたりの山は岩盤の上に土が薄く被って植物が生えているらしいので、雨が降ると土砂が崩れやすいとのこと。 道に土砂が積もって通行止めになりっぱなしの道路もあると言っていたのは、島最西端にあるカフェの奥さまだった。 奥さまは奄美大島に移住して9年目。 元々東京清澄白河出身で、山村留学をきっかけに島に来たそうだ。 高校生の息子さんは毎日往復4時間をかけて高校に通っているそうである。 大きな鶏と山羊をペットに静かにカフェ経営をしているが、奥さまはとてもお喋りに飢えているように見えた。 人が減っていて現金を稼ぐ手立てが非常に難しいというような、若干愚痴をこぼしたくもなる状況があるように思う。 最西端のカフェから宿まで一時間半、あの地滑りは5年前くらいか、これはつい最近か、と補修の跡と植物の生え具合から予測する。 道路脇に土嚢が積んであるのは何故なのかと思っていたら、どうやら崩れた土砂をそのままその場所に積んであるだけのようだった。 自動車は島民は軽自動車が圧倒的に多く、普通車かと思えば観光客のレンタカーてもある。 走る速度もゆったりとろとろとしている。 島の北端にある奄美空港から最南端、さらには最西端まで車で走ったが、中心部名瀬には少しの都市感があったもののあとは小さな集落が山を越えるごとにぽつぽつとあるだけだった。 廃校になって潮風に錆びている小中学校も容易に見つけられた。 私たちが泊まったホテルのある瀬戸内町には、スーパーAコープとファミリーマートがあった。 町の中心部にも居酒屋やカフェがほとんどなく、食料の調達は皆ほとんどここで済ませているようだった。 そのため私たちも東京にいるよりも頻繁に行ったファミリーマートは日夜東京都心ほどに混雑していた。 しかも皆袋いっぱいに買っていく。 昔ながらの酒屋、魚屋、カメラ屋、餅屋、お土産屋、服屋などが古さそのままに佇んでいる。 潮風が吹くからだろう、建物は皆錆ついている。 今回、この旅に太陽の力が無かったのは、中華料理に油とにんにくを欠いていたようなものかもしれない。 名瀬に泊まらなかったということも大きいだろう。 ちなみに泊まったホテルは、何もしないをしに行くことを完遂させてくれる良い場所だった。 ホテルについてはまた書こうと思うが、サービス面に東京の匂いがするなと思ったらやはり東京の会社の経営だった。 東京らしさというのは私にとってある意味で安心感があり、ある意味でスノッブ感もあるということだ。 無事に成田に降り立って、家まで帰ってきた。 行ったことがないところへ行くのも、行ったことがあるところへ行くのも、どちらも旅路の楽しみである。
2 コメント
はにまる
12/29/2019 15:02:14
2月18日の記事を拝見しました。同様の感想を持ちましたので、通りすがりにメッセージを残します。
返信
愉咲
1/9/2020 13:37:17
コメントありがとうございます。またご返信が遅くなりました。。
返信
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|