私が息子と離れて一人になる時間を作ろうと、夫はいつも気をつかってくれる。
私は息子が生まれてからずっと、たかだか数時間息子と離れるのが寂しいような、いつだって一人になりたいような、天秤が絶妙にゆらゆら釣り合っている状況が続いている。 でもまあお言葉に甘えて、午後から外出をする。 あえて帰宅の時間は言わずに出た。 いくつか行きたい美術館があるのだが、今日は日曜日、日曜休みのギャラリーに行くことが出来ない。 息子がいてはできないこと、散歩はいつもしているけれど近所をぐるぐるではなくてやっぱり遠くまで歩きたい、今日生徒さんに聞いた食パン屋にでも行ってみよう。 私はとても食パンが好きである。 その食パン屋への道のりはかつて何度も何度も歩いたことがある道の少し先にある。 片道90分、遅ればせながらの冷たい冬風を感じながら揚々と歩いていった。 食パン屋に着いてみると、30分待ちの行列。 寒いけれどここまで90分歩いてきて身体はホカホカなので待てないこともないだろうと、整理券をもらう。 夫は行列が嫌いなので、夫がいたら買わなかったと思う。 行列は決して好きではないけれど、皆が並んでまで欲しい食パンは並んでみたい、という行列増長心理を私も漏れなく持っている。 ディズニーランドのようなうねうねと、でも秩序ある細かく区切られた長蛇の列を待つ。 白い紙袋に入れられた食パンが次々次々、飛ぶように売れていく。 若いテキパキとした女性スタッフばかりで、店員も客もパンも全部がベルトコンベアに乗っかってオートメーションで動いているようだった。 30分待ちと言われていたけれど、あれよあれよと進んでいき、キャンセルもあったようで10分ほどで買うことができた。 2斤分の食パン、900円也。 重い。 さて、食パンが手に入ってやることはなくなった訳だが、借りっぱなしになっている小説を読もうとカフェを探す。 カフェは探すとなかなか見つからないもので、とうとう二駅分くらいをまた歩いてしまう。 雰囲気の良い広めのところで、なんて思っていたがもう疲れたし、仕方が無いので上島珈琲に入る。 ウインナーコーヒーを頼んで、久しぶりに読書をする。 読書をあまりしない私の読書。 中国人作家の短編小説で、意外と読めると一話読み終わったところで、隣席に女性二人が座って、よくある会社の愚痴のような会話を始めた。 内容がもろに聞こえてしまうのでもう読めない。 嗚呼。 書くことならできるかと、試しにこれを書いているが、やはり散漫になる。 私はあまりカフェに長居することは無いが、カフェというのはこういったはずれの状況が辛い。 しかし、カフェは談話するところでもあるのだから仕方がない。 読書をするなら図書館のほうが良さそうである。 たぶん夫は、私が早く帰りたくなってしまうから息子の写真を送ってこない。 息子はどうしているだろうか、しかし、離れていれば離れているのもそれはそれで良い。 最近息子は私がいないとき、嘘寝をするようだ。 以前初めて夫一人で息子を見たときも、実家に預けたときも、一昨日一時保育をしたときも、思い返せば私と再会する頃にほとんど寝ていて、でもどことなく本当に寝入っている風ではないのである。 当然、寝たふりするほど演技力もないから寝ているは寝ているのだが、ぼくのいちばんあんしんのおかあさん、がいない現実から目を逸らしてシャットダウンしているような。 今朝偶然、あるお母さんがインフルエンザにかかって、父子と別室で寝ていたら夜中に子どもが起きて泣くことが無くなったという記事を読んだ。 おそらくこれも息子の嘘寝と似た状況だろうと思う。 赤ちゃんでも、色々な状況を把握して一種の諦めという最善の方法を取っているのだろうか。 赤ちゃんもなかなか思い通りにならないことばかりで大変だろうなあと思ったりする。 散漫なこの文章を書き上げて、さてそろそろ帰るとするか。 ウインナーコーヒーももうとっくにない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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