さてさて、句会。
最近はもっぱら締め切りの3日前くらいから季寄せを開くことしかできなくなっている。 日常的に筋トレをしないとなあと思う反面、怠惰なわが身を呪ったり甘やかしたり可愛がったりしている現状は、何も俳句だけに言えたことではない。 あるひとつのことをやっていくと、自分を過信することはなくなる。 ちょっと良かったり、全然ダメだったり、そんなことが延々と続いていくだけだ。 何か書いたり作ったりするとき、不意に降りてくる、なんて言い方があるけれども、そんなことはじりじり続けた後の彗星のごときご褒美に過ぎない。 在り物の散り散りに散らばった言葉たちを想像によって関連性を持つものたちを、いろいろな方向からくっつけていく。 少なくとも私は不意に何の脈絡もなく何かが舞い降りてきて何物にも代えがたい良いものができる、なんて経験はない。 それでも、じりじり続けた後にふぁっと閃く、ということは確かにあって、それは長いトンネルを潜り抜けたような気持ちがしてとても良い気分がする。 有り難いことに、前回の句会に続き、今回も特選をいただいた。 私が参加している句会は多分ちょっと異端というか、所謂正統派ではないのだと思う。 皆、ちょっとしたひねくれや小賢しさを俳句という世界の中に遊びながらお茶目にねじ込もうとしている感じがある。 だからつるりとした素直な句も、時々生きてくるのである。 私はこの句会のそんなところが気に入っていて、私の所属する書道の団体にも、異端感とお茶目感があるところを気に入っている。 団体運営側はそんな風に思ってないのかもしれないけれど。 以下、上の三つが投句作品で、一番目の句が特選、兼題は「まる」。 ナイターで地球の丸き中にいる 草いきれ生きていること教わりぬ 煙草屋の歯抜け婆のレモンスカッシュ 油絵の撫で肩の女(ひと)夏帽子 養生のビニル突き抜け夏の草 眼光と切っ先突き立てゼリー分く 小気味よく湯引き鱧待つざっざっざ 匙ならばフルーツゼリーを掬いたし 草いきれ~の句は意味が分かりやすいと思って投句したが結局無得点であった。 であれば、匙ならば~、の方が自分自身もお気に入りなので出せばよかったと後悔した。 まあでもちょっと分かりにくいとは思うので、無得点だったかもしれない。 いやしかし同じ無得点ならば、自分のお気に入りを出した方が良い。 いやまあ無得点であるかどうかなど当日になってみないと分からないのだけれど。 まん丸のほおずき添えて膳なごむ 東子 出た解を確かめているところてん 明子 この二つが今回他の方のもので、良い句だなと思った。 まん丸の~の方は素直で好感が持てる。 出た解を~の方は何だかよくわからない心許ない感じがするのだけど、一見脈絡のなさそうな言葉たちを繋げてうっすらそのイメージが浮かび上がったりする句が私は好みである。 この辺りが、やや異端感を生んでいるように思う。 句会仲間に最近ご結婚された方がいらしたので、その方のお好きな桝野浩一さんの短歌と「自覚的であれ当事者であれ」という書をプレゼントする。 結婚はめでたいことだ臨終はかなしいことだまちがえるなよ ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに良い人生を ともに、桝野浩一。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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