リビングを軽く模様替えした。
気分によってそれができれば良いのだが、今はそうはいかない。 息子が大きくなってきて、力も好奇心も強くなったことによる、大人の所持品の護衛と安全対策のためである。 柵だらけの部屋は、さながら檻のようである。 果たして、檻はどちら側であろうか。 広い方が外とは限らない。 柵が倒れないように、暫定的に手すりにロープを括り付けて結んだ。 思わぬところに出現したロープに洗濯物を干す。 テレビは窓を背にして置く。 朝日のまぶしいこのリビングでは、完全逆光で朝のテレビを見ることになる。 まあもっぱら朝にテレビを見ているのは息子だけであるが。 なんだか以前に増して滑稽な部屋になってきた。 インテリアは興味があるし、こだわりたい部分もあるのだが、当然ながら今は秩序なき赤子の安全が第一である。 しかし、久しぶりに柵やジョイントマットの下を掃除して物を片付けたので、すっきりさっぱりである。 これが保てれば良いのだが、まあそうもいかない。 すぐさまにおもちゃ箱をひっくり返して、水をこぼし、気づかぬところでは口についたプリンが柵についていたり、乾燥して硬くなった納豆の粒が転がっていたり。 エントロピーは増大の一途をたどるばかりである。 朝からカレーを煮込む。 豚ひき肉と玉ねぎとにんじんとコーンとパセリ。 じゃがいもにんじん玉ねぎ豚肉、をきっちりパッケージの表示通りの分量で作ることが美味しいカレーの正攻法という秘技であるが、なかなかそうやって作ることがない。 私は「〇〇を作ろう」と買い物リストを書いて買い物に行ったことがほとんどなく、適当に買い物をしてきてキッチンに立ってから何を作ろうか考える。 具材を炒めている途中でトマト煮込みになるかカレーになるか、変わることさえある。 何となく具材が足りなさそうであれば途中でしめじとかガルバンゾなどを入れることもある。 寄り道は厭わないという気分だけ携えていて、行き先が作り手本人にも明確に見通せない。 さながら私の書のようである。 今日のカレーはやや変わり種であるがどうだろうか。 ところでルウは甘口である。 甘口であれば子ども用カレールウでなくても息子も食べることがあるので、最近は甘口にしているが、本当はジャワカレーの辛口のようなスパイシーなカレーが好きである。 まあでも何を作っても、ゆっくり味わって食べることできないのでさほどのこだわりはないのだが。 息子に、ここ一週間ほど、毎日毎日こんこんと、「もうパイは終わりだよ」と話しかけている。 いよいよ出なくなってきた私のおっぱいは吸われることに嫌気がさすようになって、何より夜中に起きられると私は寝不足になってしまうことに困っていた。 昼間に机に突っ伏して寝てしまうほどである。 しかしながら、インターネットに転がっている卒乳や断乳の漫画を見るたびに私はどうしてもどうしても涙が滲んでしまうほど、私の方にも執着があったので、ここまで息子の好きなようにさせて見守ってきた。 おっぱいをやめることは8か月くらいの頃から隔月くらいのペースで考えてきたのだが、やめたいというその時の懸案事項はだいたい2,3週間で収まって、やめる理由がなくなってしまうということを繰り返してきた。 出来れば断乳でなくて卒乳が良い、なるべく息子が自発的に、私の気持ちにも協力してもらってお互いに折り合いを付けて、ぬるぬるっと卒業したい、そんな風に今は思っている。 「もうおかあさんのパイは出ないから夜中に吸うのやめてね。夜中にパイを探して怒って蹴とばすのもやめてね。代わりにおかあさんぎゅうってしてあげるからね。パイとさよならしてもおかあさんがいなくなるわけじゃないから大丈夫だよ。夜中の寝ぼけているときは心配だと思うけど、ぎゅうしてあげるからね。」 そんな風に毎日話しかけている。 昨夜は、一度か、あるいは一度も、パイを求められなかったような気がする。 私も寝ぼけているのでよく分からないのだが、久しぶりに私の睡眠欲が満ちた気がする。 代わりに朝方、息子は私の上に乗ってきて、私は息子をぎゅうっと抱きしめていたら、服を吸って服がびたびたになっていた。 息子なりに我慢しているのだろう。 「ありがとう、ありがとう。」と伝える。 ブログに書くことも、日々の生活も、息子のことばかりである。 まあいいか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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