前髪を切りすぎた。
やけになっていたからだ。 でもいい、どうせ外に出られないのだから。 ついに我が家にも流行り病がやってきた。 何兆個、もはやその単位で良いかさえもよく分からないほどのウイルスが、都内だけでも蔓延しているだろうから、どこでそれがぴとりと張り付いて体内培養されたかはもう分からない。 最初に発熱したのは息子でその時点では、我々両親はおそらくだが感染していなかったのではないかと思う。 おそらく、前日に遊びに行った東京タワーのキッズスペースのボールプールが原因なのではないかと思っている。 といっても、仮にそうだとしても東京タワーの遊び場には一切の非がないけれど。 あの日、息子は大層楽しげだった。 息子は知らない人がいるところがとても苦手で、公園などのすべり台でも他の子がいるとすごすごと退散してきてしまうような子だ。 しかし、ボールプールの楽しさが勝ったのか、見知らぬ人にも怖気づかずに何度も隣接のすべり台に上ってはすべっていた。 いたずらな大笑顔で。 まあそれはそれで良かったのだが。 2日後の就寝後に何だか機嫌悪そうに起きるなと思ったらいつもよりやや身体が温かかった。 さして気にしていなかったが、翌朝37.5。 念のため保育園を休ませて様子を見ていたが、午後には38.7。 病院に連れて行ったときには熱が何度だったか知らないが、かなり高熱だったと思う。 すぐに検査結果が出るからとコロナの抗原検査と溶連菌の検査を行う。 コロナ陽性、溶連菌陰性。 あぁついにきたか、と思うと同時に、私の絶望感は約1週間後に迫ったワークショップだった。 お花の先生と一緒に丁寧に準備を重ね、リハーサルまで行った。 もちろん本番にどうなるかは分からないけれど、良い内容ができていたので、私は当日がとても楽しみだった。 初めての試みで緊張もしていたけれど、新しいことの始まりにとてもわくわくしていた。 息子は息子で心配だけれど、ワークショップが中止になりそうなことがまずはとてもとても悲しかった。 すぐにお花の先生に連絡を入れた。 「先生は今動揺していらっしゃると思いますので、一旦今回は中止にして、別日を設けるかどうかはまた落ち着いてから決めて皆さんに報告することにしましょう」と冷静に判断をくださった。 悲しかったけれど、今回ばかりはそうするしかない。 泣く泣く、参加者の皆さんにご連絡を入れる。 夏休みの自由研究にするんだと楽しみにしていてくださった方がたくさんいたのに本当に本当に申し訳ない。 世界中皆、コロナをこんなふうに憎んでいる人がたくさんいるに違いない。 もちろん、もっともっと重大なことがコロナによって起きている人もたくさんいるだろう。 この時点では、もしかすると息子から感染しないのではないか、と思っていた。 しかしながら、間もなくして私も夫も発熱。 コロナって風邪と違うね!と身を持って体感するほどには症状が出た。 人それぞれ、コロナの症状はあると思うが、私が最もつらかったのは倦怠感である。 寝ても覚めても身の置き所がないような重すぎる気怠さが身体に鎮座していた。 全身、特に首から背中一帯が痛く、寝ていても疲れてしまう。 そして、食欲が全然わかない。 幸い、頭痛や胃腸の不具合などはなく、少しの喉の痛みと咳が出るくらいだった。 しかしあの倦怠感たるや、ワクチンの副反応が軽かった私には耐えがたいものだった。 私は普段あまり体調を崩さないので、体調を崩すと「このままどんどん悪くなっていったら、治らなかったらどうしよう・・・」と結構悪い方向に考えてしまいがちである。 体調不良のときはある程度皆そういうきらいがあるとは思うが、その傾向が強い方なのではないかと思っている。 しかも今回、熱が一旦下がってもまた上がったりなどしていたこともあり、余計に不安な気持ちになった。 いずれ治る、ということをどこかで疑っているのだろう。 いや心底はそう思っているのだが、最悪の事態を考えた方がその時の心の緩衝になるのではないかと思っているのだと思う。 そうこうしているうちに、家族の中で最も長引いた私も、5日目くらいからようやく憑き物が取れた感じになってきた。 そうなると今度はつらかった最中のことをもう正確には思い出すことが出来ない。 療養期間はまだまだ残っている。 息子は早々に良くなっているので、とても不憫である。 大人は良い。 仕事をする、動画を観る、本を読む、ギターを弾く、ブログを書く、瞑想する、掃除をする、体操する、何もしない。 そのどれも自由に選び取ることが出来る。 けれど、3歳の子どもが上記のうちで出来るのは「動画を観る」ことだけだ。 何もしない、ということさえ、彼らの意思ですることはままならない。 ここまで数日で、すでに遊びのネタはとうに切れている。 まあこどもとの時間は緩やかな濁流なので、遅々とでも何とか過ぎてはいくだろう。 息子の様子が少し変わったのは、私が食べているものを「食べる」と言って食べに来るようになったことだ。 偏食の息子は、今まではこのようなことはなかった。 今日ははちみつヨーグルトと鯖の味噌煮を私から奪って結構食べていた。 あと数日、彼もがんばってほしい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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