久しぶりに所属団体以外のところで書を教わった。
昔から、私は師に恵まれてこなかったなあと、そんなことを思った。 人に新しいことを教わるのはとても新鮮で興味深く楽しいと思う一方で今や、もはや私は猛烈に誰かに師事するということは、たぶんできないだろうとも思った。 今の所属団体でも、私が好きで憧れる先生はもちろんいるが、講師が何人がいるような学校のような形態を取っているため、私だけに手取り足取り教えてくれることは全然ないし、実際目をかけられることもほとんどない。 どうしても、と、こちらから特別に教えを請うこともない。 思えば、小学校の頃から部活でも私には恩師と呼べる存在はいない。 バレーボールはそれなりに真剣にやっていたつもりだし、真剣にやりたかった。 中学校の頃には、バレーボールが未経験の先生が就いて、皆でボイコットさえしたことがあった。 もちろん、教師の仕事とは、それが部活などという教師からすれば残業的なことを指導するならば尚、それそのものの技術を教えることが全てではない。 しかしながら、てめえらの生き様、みたいなことを教えてもくれなかったし、ただバレーボールの技術がないだけだった。 私は技術でも采配でも、バレーボールを教えてもらいたかった。 隣の中学校はとても強くて、先生は鬼のようだと有名だった。 手を上げることは日常茶飯事、椅子が飛ぶこともあるそうで、私はそれで強いチームが羨ましかったことをよく覚えている。 今は椅子が飛ぶなどとはニュースになりかねないし、その鬼教師がトラウマで未だに根に持っているという話も、後に同じ高校になった友人から聞いたけれども。 高校の頃にも、女子バレー部には本当にポンコツと言っても良いほどの化学の先生が顧問をしていた。 男子バレー部は、昔国体の選手だったというバリバリの先生が就いていて、恨めしく思った。 ごくたまに教えてくださったことがあったけれど、先生はあくまで男子バレー部のものだった。 途中で、ある部員の中学生の頃のコーチが教えてくれることにもなったことがあったけれど、とても短い間でそれは終わってしまった。 その後、男子バレー部の顧問のような先生が我が女子バレー部に赴任してきたのは受験を控えた3年生の4月。 もう5月には部活は引退しなければならない時だった。 その後、一年下の後輩は、その顧問の先生が功を奏し県大会でも良い勝負をしていたと聞いた。 何かを真剣にやったり、志すのに、必ずしもべったり張り付いた師が必要なのではない。 師がいなければそれを大成できないというのも違うだろう。 だけれども、何にも知らない頃に、親身になって、食らいついて、正しいとされるスタンダードな基礎を教えてくれるような師弟関係というものに何だか小さくない憧れを私は持っていたのだということを思い出した。 今、一応私は少なくない方々に字を教えている。 師弟という関係をむしろ排除するようなスタンスでやっている。 こんなことをつらつらと言っておきながら私が大切だと考えることは、寝食を共にするように蜜に手取り足取り一方的に基礎を教えることでは全くない。 そしていつまでも自分の方が生徒や子どもでありたいと思っているのかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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