とても久しぶりに国立新美術館に来た。
検温と消毒と、入場制限を行っているので、観覧者としては安心感があって良い。 ごった返すこともなく、人の間から作品を覗き込むようなこともなく、館内が喋り声で喧しいこともなく。 私の大好きな一人がけの椅子も全部空いている。 吹き抜けの天井はいつも高いけれど、今日は建物の空間的広さに天井を仰ぎたくなった。 今日は平日だからということもあるだろうが、美術館はいつもこのくらい贅沢な空間であって欲しい。 ちなみに、入場時の制限はあるが、退出の時間は無制限である。 古典×現代、という企画展を観る。 仙厓や円空や北斎などといったそれぞれのジャンルの古典の代表格と、現代に生きるアーティストがそれぞれにコラボレーションというか同じ展示室に飾られている。 とても盛りだくさんな内容で、展示物も多く、見応えがある全体として素晴らしい展示であった。 会期は3月21日から6月1日までだったらしいが、頃な騒動で延期になったようで、それでも、明後日の24日に閉幕となる。 こういう良いものが盛りだくさんで単純に足が疲れてしまう展示は、2度3度足を運ぶと良いのだろうけど、24日までに時間は取れなさそうである。 川内倫子さんの写真と、円空の木彫りが特に印象的だった。 川内倫子さんは写真集を持っているくらい、結構好きなのだが、テイストそのままに進化しているなあという感があった。 確か川内倫子さんはここ数年の間に出産されていると思うが、赤ちゃん関連の写真の説得性が高かったと感じるのは、たぶん私も出産をしたからだろう。 写真も絵画も書も、実物を見るときの適切な展示方法というのがある。 私はこのあたりにはさっぱり慣れていないのだが、今回の川内倫子さんの展示は、作品の良さを充分に発揮する展示方法であったと思う。 光沢のあるガラスのような質感のものに印刷されていて、額縁は無いものが多く、パネルそのままの展示。 川内倫子さんの写真はセピアではないのにセピアを感じるような少しくぐもった風合いなので、マットな髪のようなものに印刷するのが良いのかと素人目に思っていた。 しかし、つるりとした硬質な質感の方が相性が良いのは、被写体に生死の正面や草木水の一瞬のきらめきを切り取っている切実なものが多いからなのかもしれない。 実は昔買った川内倫子さんの写真集が、美術館やインターネットで見るほどにはあまり良さを感じていなかったのだが、おそらくこの辺りのことが原因なのではないかと思う。 写真集はマットな質感の紙に印刷されていたはずだ。 円空とは、17世紀江戸時代の僧侶で木彫りの仏像などを残した人。 仏像ファンでは特にないのだが、やはり「良いお顔」をしている仏像にはこちらの顔や心を緩ませる効果がある。 そして、えも言われぬカーブや湾曲がそこかしこにあって、全体の存在感が何とも魅力的である。 どうして、このような形になったのだろうと疑問に思ったが、説明を読んでみると、円空は一本の木から彫刻を施しているらしく、木の節や筋などの性質に逆らわずに彫っているのだという。 なるほど、である。 木と彫り師と立ち現れる仏様が、絶妙な融合地点にいるというわけだ。 とても気に入ったので、良いグッズがあれば買おうと思っていたのだが、ポストカードも図録も缶バッジも、やはり質感がいまいちであった。 円空と対比されていた棚田康司さんという彫刻家の作品も、同様に全て一本の木から掘りだされているらしい。 木彫りの女性像が多く、ゆったりとしたワンピースの布の柔らかさのある木を撫でたかったが、もちろん触れない。 息子の保育園の合間、私は仕事をしつつ、美術館やギャラリー巡りをしてみよう。 本や図録からのインプットも良いが、やはり百聞は一見にしかず、と思っていて、それは昭和生まれだからだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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