ご縁があって、都内のある公立中学校で夢や仕事について話す、というプロジェクトに登壇した。
登壇といってもオンラインだけれど。 何かしらの専門家たちの生の声を子どもたちに聞いてもらって、将来のことを考えるきっかけにしてほしい、という目的のプロジェクトである。 私も曲がりなりにも10年この仕事で生活していて、バイトなどを一度もせずに本業のみでやってきたので、まあ専門家といっても良いだろう。 しかしながら、ただの巡り合わせだとしても、このような話が巡ってきたのはなんだか感慨深いものがあった。 私も大人になったなあ、という気持ち。 オンライン登壇は、言わずもがな実際に子どもたちを目の前にするわけではないので、緊張は少なくて済む。 しかし教室のざわつきや子どもたちの反応はほとんど分からないので、こちらのテンションのまましゃべり続けないといけないという、あまり経験のない状況になる。 私は、他人からは全然そうは見られないけれど、元々ものすごく緊張するタイプであった。 学校のクラスで何かを発表せねばならないときは、喋っていると頭が真っ白になってしまうので、「次のページに移ります。」のような本文とは関係ないつなぎ言葉まで原稿に書いていたほどだ。 今思い返すと、その発表で何が言いたいのか、何を伝えたいのか、ということが曖昧なままやっていたような気がする。 ただこの内容を皆の前で間違えずに話す、ということだけに重きを置いていた。 話の全体像も思い描かないから、一文抜けてもパニックを起こし、後が続かなくなる恐怖に怯えていたのだ。 それが、今の仕事になってからは、否応なく自分がその場を主導しなければならないというか、せざるを得ないので、こちらがある程度一方的に話す、という状況にはかなり慣れたのだろうと思う。 無論、レッスンの場合は1対1が多いので、双方向的にコミュニケーションが生じているけれども。 今回は、パワーポイントでプレゼン資料を作り、原稿を用意することはしなかった。 やれるだろう、という自信があったからだ。 ただ、話す時間は30分程度で、授業終了時刻は厳密に守るように言われていたので、時間をうまく使えるかは問題であった。 開始前にひと通りひとりで喋ってみる。 家には私の声だけが響いて、反応もないのに子供たちへの呼びかけなどもシミュレーションしてみたりして滑稽だった。 いざ、本番も事なきを得た。 書道家になりたい、なんて人はかなり稀有だと思うので、「今なりたいものが分からなくても、自分の小さな“好き”を大事にしてください。いろんな人と会って話をして、多くの経験をして。きっと大人になってその経験がつながっていきます。」というメッセージを最後の締めにした。 それは本心で、私も幼い頃書道家になるなんて露ほども思ってなかった。 それどころか、二十歳を過ぎてもまだそんなこと思いもしなかった。 しかしそれが今では、自分のあり方として不思議なほどにとてもしっくり来ている。 大学生の頃、社会学でライフストーリー(人生論)の研究をしていたことがあるが、誰もが、自分の生い立ちから今を語るのは大好きである。 日常ではそんな話は鬱陶しいと思われがちだが、あなたのそれを語ってくださいと言うと、皆一様に揚々と話し出す。 今回は書道家の仕事紹介がメインであったが、何にせよ自分の話ができるというのは高揚した。 楽しい機会だった。 ちなみに、よく、息子さんも書道家になるんですかね、と言われることがあるが、私は息子がそうなるとかなってほしいとか、本当に全く思っていない。 もっと言えば、上手な字が書けなくても全くもって構わない。 自分が代々書道家という家で育っていないので、息子が私の職業を踏襲するというのはイメージすら湧かない。 それよりも、自分の人生において飽きない何かを見つけて楽しんでほしい。 それは息子に対してだけではなく、子どもたち皆にそうあってほしい。 奥田民生の「息子」という曲は、自分の息子のためだけに書かれたものではないのだ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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