霜月朔日。
私は季節感には乏しくなったが、唯一結構大事にしているのが年末感であり、誕生日と同じくただの連続した一日に過ぎない大晦日に少々厳かな気持ちになったりする。 11月ともなると一年の終わりを想定して、多少の自責をしたりもする。 一年の終わり頃に、一年が終わるからと言って自責しているようでは、次の一年も思いやられるというものである。 しかしながらやはり、年とか月とか時間とか、何か明確な線引きがあった方が安心で、過ごしやすいのかもしれない。 護国寺にある群林堂という和菓子屋さんの豆大福が絶品だと聞いて、歩いて買いに行く。 なんでも、地元の人を中心に一人10数個も買っていくほどに飛ぶように売れ、作りたてのタイミングを逃すとなかなか入手できない代物だという。 特別に饅頭フリークでも大福フリークでもないが、あんこも餅も大好きである。 出先から目白台を越えて行ったのだが、目白台は恐ろしいほどの坂だ。 急斜面すぎて階段でないと対応できないほど。 自転車ではもう毛頭登れないと思うが、歩きでも心臓とふくらはぎがはちきれそうになる。 えんやこら登りきると新宿方面を見渡せるほどに小高いのだが、もうすぐに今度は急な下り坂だ。 歩き回っていると、東京もアスファルトで固められて家々が建つ前は山や川や谷や台地があるただの土地だったのだろうなあということがよく分かる。 群林堂は江戸川橋の駅の程近くにあった。 ルスルスは浅草のものすごく駅から遠い分かりづらいところにあったが、群林堂は駅から1分くらいである。 まあ今の私は駅至近であることになんのメリットも感じないが。 豆大福、かのこ、豆餅、茶饅頭、栗羊羹、みたらし団子、品書きはおそらくこの6つ。 栗羊羹は季節ものだろうか。 「当店の商品に賞味期限はつけておりません。必ず当日中にお召し上がりください」と書かれている。 豆大福とかのこ、茶饅頭を購入。 白濁した台紙とオレンジ色の包装紙に包んで輪ゴムで止めてくれたが、私はあの和菓子屋のぱりぱりとした包装紙の匂いがとても好きである。 饅頭をそっと守る紙の質感と匂いは、饅頭を美味しく保つどころかほんの少し美味しさを上乗せするのではないかと妄想する。 単に色々な紙の匂いが好きなのもある。 包装紙、段ボール、新札、雑誌、書道用紙、コピー用紙。 どれも異なる匂いがする。 特に新札と雑誌が好きだが、新札はまさかお金だからという理由ではないと思う、たぶん。 その夜、緑茶を淹れて包装紙を開けるともうすでに豆大福は少し固くなり始めていた。 豆がごつごつとたくさんついた豆大福をがぶり。 真剣さを食べているようだった。 しっかりと餅、しっかりとあんこ、ずっしりと豆大福。 かのこはずっしりの球形のあんこの周りに、びっしりと小豆がくっついている。 小豆はほっくりとしていて、さながら栗羊羹を食べているのではないかと勘違いしてしまいそうだ。 茶饅頭は、お茶の茶ではなく、茶色の茶。 黒糖のやさしい皮に包まれたこれまたずっしりのあんこ。 あんこはきちんと甘いのだけれど舌に残る感じがなくて旨い。 かのこと茶饅頭は半分に切ったが、大きくて重量のある饅頭をまるまる二個食べるとお腹がいっぱいである。 真剣、実直、愚直、頑固、誠実、貫徹、直球。 化学調味料や膨らし粉や添加油脂や、別に私はそれらを毛嫌いすることも全くなければ寧ろ有り難がっているくらいだが、そういったものを使わずに素材だけで美味しく作るのはやはりプロの仕事だなと思う。 今度はできたてほやほやの大福をその場で食べてみたい。 しかし、歩いて行くと多少息が上がっているのでそのタイミングで大福を頬張ろうという気になれないかもしれない。 そのときは歩くのをやめて電車で行けば良いか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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