妊娠中から眼鏡を買おう買おうと思っていたのだが、9月も半ばになろうとしている。
無事に新宿までたどり着き、頼んであった新しい眼鏡を受け取ってきた。 新宿には、マルイにも伊勢丹にもビックロにも清潔で広々とした授乳・おむつ替え室があって安心である。 平日の日中であれば、新宿ど真ん中は乳飲み子連れはかえって居やすいのかもしれない。 と言っても、新宿ど真ん中に私はあまり用がないのだけれど。 最近は授乳室とおむつ替えが快適にできる設備を事前検索しながら、ベビーカーに息子を乗せて積極的に出かけている。 一日の歩数も6000~15000歩となかなか戻ってきた。 自分の足で歩くことが大切なのだ、ということは何だか哲学的にさえ思う。 息子はまだ文字通りの歩くことはできないけれど、人生はしっかりと歩んでいる。 さて息子はベビーカーに乗っているだけなのだが、やはり乳児には少しの外出も疲れが出るようで帰ると一時機嫌が悪くなってその後よく眠ることが多い。 ベビーカーに乗っているだけと言っても、私たちが電車や新幹線に乗っているだけで疲れるのと同じで、自分が歩く走る速度以外で進むと、その速さに比例して疲労するのだろうと思う。 新幹線に2時間乗るのと、飛行機に2時間乗るのでは、後者の方がぐったりするのは私に限らず皆同じだろうか。 飛行機の場合は、高揚感がアドレナリン的に働いて変に疲れを感じないところはあると思うが。 赤ちゃんの場合、強制的な速度の他に、風や音や匂い、人気、気温などさまざまな初めての要素だらけで情報過多になってしまう感じがある。 もうこれ以上情報を入れるとパンクする、その前にシャットダウンしてしまおうとベビーカーでも揺れにまかせてよく眠る。 赤ちゃんは毎日毎日新しいことだらけで、刺激的すぎて、疲れるだろうなあと思う。 さて、ところで、なぜ私は新しい眼鏡を買ったのだろうか。 しかも比較的値段の高い眼鏡を買ってしまった。 確かに妊娠前から眼鏡を買おう買おうと思っていたのだが、なぜ買おう買おうと思っていたのか思い出すことができない。 今ある眼鏡がゆるゆるになってしまっているので直したかったのはある。 しかしそれはただ直せば良いのである。 新しい眼鏡を注文した日は夫が夏休みで、区役所に用があって3人で歌舞伎町に出向いていた。 夫は私がひとりになる時間を事あるごとに作ってくれようとするので、その言葉に甘えて私はひとりで眼鏡店に行った。 壊れかけた現状の眼鏡の修理依頼をし、私は店内の眼鏡を物色していた。 眼鏡を買おう買おうと思う心はなぜだかこのときも継続していた。 しかし、「欲しい!」という物欲では全くなくて、今この時にこのタスクを完遂せねばならない、という使命感のような観念にほとんど無意識に強く駆られていた。 ついでに、息子はもうすぐおっぱいを欲しがってしまうかもしれない、私の胸も放っておくと岩のようになってしまう、家までは何分くらいで帰れるから、眼鏡を選んで視力を測ってあれこれするともう時間の余裕など全然ない!!!でも今このひとりの時間を味わわないと!!!という焦燥感に煽られまくっていた。 「これにします」と半ば適当に眼鏡を決めて、出来上がるまでに30~1時間くらいと言われたので当日受け取ることは諦めて足早に店をあとにした。 夫はゆっくりでいいよと言ってくれていたのに、心が急くことを止められずに私は小走り気味に家まで帰った。 おっぱいの問題がなかったとして、心ゆくまでゆっくりしてきて良いと例えば丸一日や一週間などもらったとして、今の私はゆっくりすることができるのだろうか。 息子のことが気になってしまうし、息子に会いたくなってしまうし、その後の日々の準備などもあれこれしてしまうだろう。 しかし、ずっと息子と一緒なのもやはり息が詰まることもあるわけで、ゆっくりする練習を少しずつしていかなければとも思う。 ゆっくりする練習、リラックスする練習、何か可笑しみを含んだ言葉である。 ほとんど無意味に手に入った新しい眼鏡をかけてサウナにでも出かけようか。 しかしサウナと水風呂はまだ帝王切開の傷が少々怖い。 良い知らせがあった。 自分のことではないけれど、それなりに嬉しい。 苦節何年なのかは詳細には知らないが、万感の思いであるだろう。 良かった、よかった。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|