夏休み明けの今日、息子はかなり保育園への行き渋りを見せた。
お家が好き、お家が楽しい、それは良いことなのではないかと思う。 私も、お家が好き、お家が楽しい。 この夏休みは特にどこかに行くということはしなかった。 しても良かったし、最後まで近場のホテルに泊まろうかなど考えていたのだが、緩やかな泥水の濁流に飲み込まれるがごとく、日々は過ぎて行った。 それでも、転園を考えている保育園の見学や、東京タワーに新しくできたキッズスペースに行ったり、あと何をしたかさっぱり思い出せないのだが、毎日親はぐったりするほどには活動をした。 17時くらいに2時間ほど昼寝をしてしまう癖がつきそうだったので、寝かすまいと昼寝なしで過ごしても、彼は夜遅くまで寝ないのであった。 最近ますます数字が好きな息子は、日々YouTubeの数字の歌を見ながら、自己研鑽を積んでいる。 他の子がどうかは分からないが、私が驚くべきことに、彼は100まで自分で数えることが出来る。 片手で指折り1~10を繰り返しながら。 そしてさらに昨日驚いたのが、英語でも100まで数えられるということだ。 10までの英数字を知っているのは知っていたが、いつのまに100まで覚えたのだろう。 もちろん発音はかなりたどたどしくあやしいものであるが、「シックスティシックス、シックスティセブン、シックスティエイ、シックスティナイン・・・・・・・・・ななじゅう!」と言っていたので、理解をしているらしい。 セブンティ、が思い出せなかったようだ。 このような事象を含め、彼の成長具合が凸凹しているということは、私は特段問題視していなかったが、3歳児検診を皮切りに、息子に関わる様々なところからやや指摘が入っている。 幼き子どもたちは、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・これから様々な集団生活やコミュニティが待ち構えている。 彼の場合は目下の転園に向けて、私が他の誰より一番楽観視しているらしく、早め早めに対策をした方が良いよと方々からアドバイスを受ける。 保育園の先生はご自分のお子さんの話をしながら業務外に懇切丁寧なアドバイスをくれたし、いもうとは同様のお子さんを持つ同級生につないでくれたし、友人は私に最大限気を使って話を聞いてくれた。 私としては、本当に今の息子に過度な心配も期待もしていない。 しかしながら、人に預けたりしておきながら、人の意見を聞かないというのもおかしいので、心を落ち着けて皆の話を聞いた。 子育ての話は、心が荒れやすいのは皆よくあることではないだろうか。 私も然りで、自分でも意外なほどに感情的になってしまうし、他人の意見というものが受け入れがたいものだ。 私の場合は、子どもに対してものすごく感情的になってしまうことはさほどないのだが、他人からの意見には酷くバリアを張ってしまうきらいがある。 おそらくそれは、日々この子に対して捧げているのは他でもない私である、という過大な自負からくるものだろうと思われる。 しかし、こういったことをきっかけにでもしないと、かなり閉鎖的な子育てになってしまうだろう。 一時的に私の心は荒れたけれど、人の意見も踏まえながら、じっくりやっていけば良いだろう。 彼は彼なりに成長していることは皆分かっている、その上で、だ。 猛暑酷暑が続いたが、もっと前から秋は夏の中に潜んでいる。 太宰治の「ア、秋」というエッセイがあるが、私の夏の印象というのはそれを読んでからというものの一部を太宰に持っていかれたという感がある。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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