先日の息子の発熱からひと月も経たないうちに息子は鼻水を垂らし始めた。
熱はないから鼻風邪でしょうとかかりつけ医。 ところで、かかりつけ医、という言葉はよく耳にするが、よく行く病院、ということで良いのだろうか。 それとも、患者は医師に浮気は極力しません、医師は患者にあなたの病の傾向と対策を施します、といった明示的な取り交わしが必要なのであろうか。 そう思うと、私のかかりつけ医はいない。 病院に行くほどの風邪をひくことが滅多にない。 3か月に一度、クリーニングに行く歯医者くらいだろうか。 しかしこの歯医者だって私の顔を覚えてはいないと思うし、歯のことを何でも相談できる、というふうにも思わない。 しかし、何でも相談できる専門家、というのが普段からいてくれるのはありがたいので、そういった働きかけを平常時にしておくべきなのかもしれない。 さて、最近の息子は病院に連れて行くのも一苦労である。 私も物凄く気が重い。 しかし、事前に話をしておくのは効果があるので、朝から「今日は病院に行ってから保育園に行くよ。服をペロンとしてぺたぺたしてもしもしするんだよ。痛いのはないよ」と10回以上は話しかけた。 病院にはすんなり入ってくれたし、診察の場では泣いてしまったけれどきちんとできた。 病院を出て「すごかったねえ、かっこよかったねえ、できたねえ」と褒めちぎる。 以前そうしたからか、病院に行くと電車に乗れると思い込んでいたらしく、保育園の方向に歩き出すとめちゃくちゃに怒ってしまったけれど。 子どもだからと言って、何かをするときに話をしないでいきなりやるのは良くない。 発音はままならなくても言葉の理解力はおそらくかなり進んでいるのではないかと思う。 たとえ説明が理解に及ばないとしても、懇切丁寧に全部話す、そういう方針で行こうかと思う。 その一時は面倒なのだが、トータルで考えるとそちらの方が消費エネルギーが少ないことも多いだろう。 ところで、来年の4月からもう1年、今と同じ保育園に通おうかと思う。 企業主導型の2歳児までの小規模園、現在ひとり増えて園児総数5人。 先生たちとのコミュニケーションも時を重ねるごとにできてきた気がするし、本当に手厚く見てもらっている。 様々な手厚い保育エピソードは、2人の母であるいもうともびっくりな手厚さだ。 3歳児で転園するのは、希望園に入れない場合はどうするのか、言うなれば崖っぷちなのでリスクはある。 私としては、先述の転園リスクを減らすために早めに転園させたい思いがある。 そして、私自身は自立という言葉や状態が好きなので、あまり個別に構ってもらえる状態というのはどうだろうと思っていたこともある。 しかしながら、その前提に、しっかりと大人の、特に親の、愛情を存分に満足いくほど得られないと自発的な自立は難しいと考えている。 現在の息子の様子を見ていると、人見知り、場所見知り、食物見知りなどは激しく、常時私を求める態度も激しい。 客観的に、というか私の主観に過ぎないけれど、まだまだ手を放して安心できるほどの自信が息子には身についてないように思う。 大規模な園で自立した行動を学ぶのも私は好ましいことだとは思っているが、通うのは息子だ。 そう思うと、まだもう少しの間手厚い個別の保育が必要なのではないかと感じている。 息子と言えど、れっきとした個別の他人なので、何が吉と出るかは分からない。 実際、3歳児の段階でどうなっているかも分からない。 ただ最も身近にいる他人として、まだ種々の判断力に欠ける彼の代わりに、最良の選択と判断をしようとは思っている。 もちろん、”最良の選択と判断”には、トータルで考えると親の消費エネルギーが少なく済む、という旨も含まれる。 物事を短期的に見ずに、中長期的に見る、ということは息子が産まれてから少しずつ身体で会得している気がする。 転園するまでの1年半の間に、別の多少大人数のコミュニティに慣らす何かをした方が良いかもしれない。 何かを習得する目的ではなく。 とあるモンテッソーリの教室のホームページを覗いてみるが、入会金も月会費も思った以上にべらぼうに高い。 まだそこしか見ていないが、都心の乳幼児の習い事の世界とはそんなものなのか。 驚きの世界である。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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