寝過ぎた。
一体何時間寝たのだろう、13時間くらいか。 寝すぎると疲れるとはよく言ったもので、体中の血液の流れが酷く遅い感じがする。 本当に何がどうというわけではないけれど、実家に帰ると本当に疲れる。 私は呼吸をしていたか、と思ったりするほど喋り過ぎていた後のように酸欠になる。 特別に喋り過ぎていたわけではない。 ただの一泊、24時間はおろか夜も含めて15時間ほどしか滞在していないのだけれど。 そして、最近は、別に楽しくないこともないのだけれど。 また友人がクロマニヨンズのライブに誘ってくれたので名古屋まで出向いた。 日本特殊陶業市民会館という金山にある会場は、席のある安全なライブ会場だった。 私たちは、ごった返したライブ会場のステージを見るための密集した人のすき間を「窓」と呼んでいて、今日は窓が大きかったから見やすかったね、なんて話をした。 スタンディングの会場の前の方に行ってしまうと、そんなに大きくない私たちは圧死しないまでもアバラ骨折の危機くらいは何度も感じているし、小さな窓は一瞬のうちに開いたり閉まったりで大変だ。 それに、私にとってロックミュージックは必ずしも頭をガンガンに振るものでは全然ないので、席というパーソナルスペースを確保できた今回はほとんど微動だにせず彼らを見つめることができて幸いだった。 ライブの後、中華料理屋で自律神経と“ホルモン様”の話をしながら、小龍包の温度の話を挟んで、”先生”にまつわる話をして、死ぬ前に食べたいものの話をして、最後は電車の中”山じいさんと山ばあさん”の話をした。 友人との会話の内容で、私は後日思い出し笑いしていることが度々ある。 誰との会話の中でも私は思い出し笑いというのは本当によくする。 今の時期はマスクをしているので外でひとり笑っているのがバレなくて良い。 けいこと山の中のカフェでお昼を食べて、ミスドのポップ&キュートなショーケースに昔よりはしゃいで、私が昔住んでいた、今はおじいちゃんとおばあちゃんしか住んでいない家にも顔を出す。 「あんたぁえみちゃんか。ゆみちゃんかと思っとったわ」と言われた。 おばあちゃんは程なくして92歳か93歳になるし、おじいちゃんは確かその一つ下である。 おじいちゃんとおばあちゃんだけでは、腹に力が入らなくてあまり声が張れないことと、耳が遠いことで全然会話になっていないので、私は持ち前の大声で少しだけ橋渡しをしてみる。 父のいとこであるおじさんも来ていて、おじさんの人間性に感銘を受けながら、最近市内で殺人事件があったという話を聞いて驚く。 「わしゃ最近手が冷たいだ」とおばあちゃんが言うので、「血が通わんくなっとるだかねぇ」と私は言う。 「ころっとそのまま知らんどるうちにいけるといいだがねぇ」と言うので、「そうだねえ、寝とるうちにねぇ」と言う。 「黒枠の写真を探しとるだけどなかなかいいのがないだ」と言うので、「今撮らぁか?それか30代くらいの白黒写真とか使やいいじゃん。誰の葬式か分からんけど」と言う。 「わしが死んだら顎を縛っとくれんよ」と言うので、「縛る縛る」と言う。 私はおばあちゃんのことがとても好きだ。 いつかみんな死ぬ。 仏壇に何一つかける言葉なく鈴(今調べるに、りん、というらしい)をチーンと鳴らし手を合わせ、父の黒枠の写真を一瞥し、「また来るで」と、ものの1時間弱で実家を後にした。 そう言えば、けいこの方の小さな父の仏壇にはまだ食パンの欠片が供えてあった。 少しのお酒を入れて沸かした湯で豚肉を茹でて食べる。 いつもなら、野菜も、と欲張って茹でるからごった煮になってしまうのだけれど、生憎野菜かごに入っているのは玉ねぎだけで、玉ねぎを剥いて付く匂いをその時に請け負えそうになかったので豚肉だけにした。 冷蔵庫にろくなものが入っていない、という状況は心許ない一方で、その場限りな感じがして胸がすく。 これがまあとても美味しくて、言ってみればただの豚しゃぶ、豚だけしゃぶ、だ。 火を通しすぎないタイミングで湯から引き上げ、しょうゆをたらり。 二度目は生姜をすりおろして、しょうゆをたらり。 ひとり金麦と、ほの温かい豚肉の味を噛みしめた。 シーチキンを缶のままマヨネーズをかけて混ぜ、それと一緒にストロングのレモンチューハイ、というような所謂男子的な愉悦は、私には分からなかった。 マヨネーズが好きではないということもあるけれど。 基本的に「手感」のする料理が好きだけれど、「素材感」も好きだし、あとは「当たり」はいつどうやってやってくるか分からない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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