まだ余力があったので、近くのスーパーで日本酒を買って帰った。
別に何でも良かったのだけれど、せっかくなら、と私が選んだ基準は、一輪挿しが映えそうな瓶、の日本酒。 ワインでもレコードでも何でも、私はジャケ買いをしがちであって、それはジャケット的には満足だけれども中身が満足したことはもしかするとあまりないかもしれない。 でも、ジャケットが満足であることは私にとって結構価値がある。 ムスカリという球根の花を買った。 家にある瓶やらグラスやらカップやらに着せ替え着せ替え、ようやく太めの透明なグラスに落ち着いた。 3本買ったのだけれど、グラスに余裕があるのであと2本くらい買い足したい。 友人が伊香保で開催される俳句大会のことを話していて、私も出してみることにした。 題詠は「中」、消印有効の締め切りは今日、22日である。 最近俳句的日常を送っていないので発想のストックも乏しいけれど、季語辞典と、インターネットで6月頃の俳句を見たり類語検索したりして3句を作る。 一応明日ぎりぎりまで寝かせてみよう。 参加だけなら入選しなくても投句者全員ができるようだから、6月には伊香保に行くのか。 まるやんが来た。 まるやん、とは高校時代の友人で、結婚して苗字が変わって、まるやんなのかまるやんでないのか。 知り合いがお亡くなりになってその散骨のために上京したらしいが、ドラマなどではたまに見るけれども、本当に散骨したというケースを初めて聞いた。 まるやんは家の広いトイレを気に入ってくれたらしく、ここで寝れるわね、と私は冗談半分でも言わないことを言っていた。 4月から中学生になるという男の子がお父さんと一緒に習いに来た。 小学生中学生という年齢の子どもにさっぱり関わりがないので、少し戸惑ったし探りながらではあったけれど、なんだかとても新鮮でこそばゆいような感じがして楽しかった。 私は3歳の姪に「おばさん」と呼ばせていて、自分のことも「おばさん」と言ってしまうので、つい男の子にも「おばさんはね・・」などと話しかけそうになった。 私が自分のことを早々に「おばさん」と呼称することは、たぶん「おばさん」という言葉をいくらか固有名詞化して一般的な意味においての「おばさん」という意味をいくらか無力化したいからのような気もする。 「宮本から君へ」を読んでいる。 何だかもはや“男子力”とかではない暑苦しさがもうもうとしているわけだけれど、あまりにももうもうとし過ぎていて潔くてそして面白い。 体裁とか演技とか迷惑とかもちろん色々とあって、体力や気力の問題もあって、実際の行動としてどのように現れるかはさまざまだと思うけれど、どうにもこうにも形振り構わずに行動する姿、というのはいつの時代もひとつの憧れと言えるのではないだろうか。 「十牛図」のことをもう少し知りたくて、「十牛図 自己の現象学」という本を読んでいる。 内容はとても興味深いのだけれど、論文口調の言葉と文章が難解である。 元々読書が苦手なので読み切れる気がしないけれど、それなりに読み進んでいるのは内容に興味があるからである。 あれよあれよと3月が過ぎていく。 日々をやり過ごすことだけに走りがちな私は、もっと単純な要求と意に叶う行動を重ねたい。 普段より寄せ木的文章である。 今は3月22日午前3時13分で、部屋は少し寒い。 92回か93回目の、おばあちゃんの誕生日だ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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