約束までの時間があるとき、仕事までの時間があるとき。
出かけたりご飯を炊いたりなど時間がかかることはできず身動きは取れないけれど、準備はもうできていて少し時間を持て余してしまう、そんな細い時間が生じるときがある。 そんな細い時間にちょっとした簡単だけれど面倒な雑務を行うと、ものすごく効率的に時間が使えた気になって、ものすごく満足することがある。 ブログや書作は細い時間でやるものではない。 昨日は、約束の時間まであと1時間、翌日提出のお題も書きあげて特段他に書きたいこともない、そんな時間がふっと生まれた。 葉書や小さな紙が入っている箱がごちゃごちゃっとしていることは前から気になっていたので、何となくそれを整理し始める。 いろいろな紙の種類が入り乱れて、どれが何枚くらいあるのか全然把握できてなかったけれど、種類別にきれいに箱に並べ直した。 在庫は潤沢にあって、もちろんそれは使うためにあるのだけれど、きれいに並べたからこれを崩したくないな、とほんの少し本末転倒なことを思ったりする。 この作業は案外すぐに終わってしまったので、アロマティカスの枯れそうな葉を取り除いたり、机の脚に溜まっていた埃を拭いたり。 クローゼットを開けると、久しぶりに服でも捨ててみようかと漁り始めた。 最近本当に服は買っていないので増えてはおらず、少量を着まわしているので当然のごとく、廃れた服が増えてきた気がしていた。 ここ数年の服の買い物は短期的な自分の流行りですぐに捨てたくなるようなものも少なく、比較的長持ちしてきた。 しかしようやく、どれもこれも古くさい感じが募ってきたように急に思えて、どれもこれも着ようと思えばまだまだ全然着られるし嫌いでもないけれど、一方でどれもこれも言うなればほとんど捨ててもいいように思えた。 捨てても捨てなくても良いのだけれど、捨てたい、という衝動的な思いを満たしたいがために大きな買い物袋一袋分くらいは捨てることにした。 ターゲットは、着心地がよろしくないもの、サイズ感がやや合っていないもの、ショートパンツ。 色やデザインは気に入っているけれど装飾のビーズやスパンコールが肌に当たって痛いとか、生地がだるだるすぎて肩が落ちてしまうロンTとか、いつも履くたびに丈が微妙だと思い続けてきたショートパンツいくつかとか、着ぶくれして見えるチュニックとか、もらいもののジャケットとか。 漁っていると、そう言えばこんな服を持っていた、とその存在を思い出すものもあった。 いつもよりもお化粧を盛って着てみようかしらと思うワンピースとか、てろてろ生地のブラウスとか。 捨てる捨てないを逡巡することもなく、大きめの買い物袋はいっぱいになった。 ずっしりと重いゴミ袋を高揚とした気分で持って、ゴミ室に捨てに行く。 まだ残り時間があったので、食器の洗い物を済ませ、コーヒーを詰め替え、各種植物たちの水やりをし、気分転換に花瓶を別のものに変えたりした。 青森の書仲間に送る書を選んで梱包もして。 早めに出て郵便局へと思ったけれど、休日であった。 難しくもなければ、すぐにやる必要もないこれら雑用ごとを、何も成果が無くとも当然のような細い時間に、幾つも完遂できることはある種のちょっとした興奮状態をもたらす。 目に見える成果物が残り、有能感と達成感を味わえる。 別にそんなことができたところで誰かから褒められることは全くないのだけれども。 でもちょっとした良いことには違いがなくて、良いことは誰かに聞いてもらいたくて。 小さな子どもなら「ねえねえお母さん!こんなことがあってね!」と母親に話すのかもしれない。 SNS慣れしている人ならSNSにアップするのかもしれない。 しかしこの場合、あまりにも事が些細なのでわざわざ人に話したりSNSで共有するようなネタでもない。 ここはやはり、孤独の王様でいられるブログが適している。 そんなわけで、せっせここの文章を書いているのである。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|