プールに行く。
数か月前に10数年ぶりにふと水に潜りたいと思い立ってプールに行ってから、私は自分がプールがかなり好きだということを知った。 髪の毛がとか、化粧がとか、荷物がとか、そんな面倒なことをしたいと思えるなんて、慢性運動不足の私にとってはとてもとても良い発見だった。 無論空気の中に立っているように思うようには進めないし、第一水中では呼吸ができない。 水に潜れば、景色も音も水になる。 人間にとって圧倒的な不自由な環境は非日常であり、その不自由は自由でさえある。 そして何より好きなのは、泳いだ後に身体がぼおっとする感覚だ。 体育のプールの授業の後の心地よい疲れと言いようのない微睡は、子どもだったから起きていたことではなくて、今でも変わらず起きる身体の普通の反応なのだ。 といっても、暇の問題でなくただの怠惰で、なかなか身体が動かずにここ2か月弱ほど行っていなかったけれど。 今回は、前に行っていたところとは違うプールに自転車を走らせる。 見知らぬ道はもちろん、知っている道でも他人から見たらおそらく信じられないほどに迷ってしまう私は、グーグルマップの自分が向いている方向を示す機能には本当に助けられている。 目的地とタイムリミットがあるときには、自転車に乗っていても、角を曲がるとき一度止まって方向を確かめる、交差点の名前を確かめる、自分の感覚でショートカットしようとしない、ということをとりあえず守ればさほど変なところに行ってしまうことがなくなった。 以前まで、目的地付近では番地の増減を見ながら進む方法を取っていたけれど、それよりも格段に効率的だ。 ということは、グーグルマップがなくなったら相当にまずい。 冬でも葉を散らさないもくもくとした大きな木の前を通ると風がよりひんやりしていている。 大きなビルの会社が看板だけ光に照らされてひそやかに佇んでいる。 いつかに行ったお店はその様相を見紛うかのような暗闇で眠っている。 日曜の街中は静かだ。 私は東京のことを、こんなコンクリートジャングル、とは思ったことがない。 上京して12年、東京は幾度も私に自由と安寧をくれたし、たぶんこれからもそうであろうと思う。 自転車で走る知らない街は本当は知っている街で、駅が見えてきてようやく、ああここか、と思う。 ともすれば自転車を止めた場所が分からなくなってしまうので、目印になるものや風景を映像記憶しておく。 東京の区民プールはどこもビジネスとしてのサービスが良く、設備が整っていてきれいだ。 公営プールと言えば幼い頃の市民プールしか行ったことはないが、安いんだから面倒かけないでよね、という空気が漂っていたように思っている。 30分ほど、700~800m泳いで寒空を帰る。 ダウンの中がぽかぽかと温かい。 また化粧水を持っていかなかったせいで、顔はひりついている。 帰り道は大丈夫、とグーグルマップを見ずに帰ろうとしたら、同じ交差点の名前を二度見た。 ブログを引っ越ししたら、なんだか過去に書いた同じようなことをもう一回書いても良いような気になる。 結局「孤独のグルメ シーズン5」を全部見たけれど、どうしても脚本の質が落ちたように思えてならない。 漫画が読めるようになってきたので、今全然好きではない漫画喫茶にハマりたい。 単純な出来事は、ちょっとした布石になりそうで、ちょっとだけ心が揺らいでいる。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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