句会を投句だけしてお休みしてしまった。
引っ越しでバタバタしていて、俳句を作る気分になれなかったということや、句会直後に仕事を入れてしまったことや、確定申告が手付かずなことや、先日祖母がほとんど危篤であることを聞かされたということもある。 事細かにどんな状況であるかはよく分からないのだが、危篤といってもそれはもう一週間前くらいのことだから、今は危篤ではないのかもしれない。 私はとても祖母のことが好きだ。 もう少しで祖母の誕生日である。 振り向けど赤い椿の落つるだけ 今朝越して家電がうなる春の夜 さよならを言わない椿落つを待つ さくらさくぷううふくらむふうせんがむ ぽたぽたと今際の刻み春の泣く 何だかいけ好かない句を締め切りをとうに過ぎた頃に主催者の方に送った。 欠席坊主(点数がひとつも入らないこと)なら、それを見ずに済むからいいかと思っていたが、坊主は免れたらしい。 しかし句会は出席してこそだなと、ソファにぐでんと横たわりながら勝手なことを思った。 そんな中で、私は最近銭湯によく行っている。 これもまた誘っていただくからであって自発的ではないのだが、この際だから汗をかけるようになってみようかと練習中である。 私は全然汗がかけない。 特に上半身、輪をかけて顔には全然汗がかけない。 風呂に入っても、閉め切った体育館でバレーボールをしても、真夏の日中を散歩しても。 そのことを私は女優体質と笑っていたのだが、肉体的にあまり褒められた体質ではないだろう。 そもそも汗がかけないから風呂はのぼせてしまうので好きではない。 上京して一人暮らしになって自宅で湯船に入ったことは10数年で20回ないと思う。 温泉に行っても軽く体をすくめるだけで、翌朝もう一度なんてことは一度もない。 しかし、物事は何でも練習をすると上手になる、ということを私は結構信じている。 練習というのも、その方法論から精神面まで多岐に及ぶ。 そのことに向いていない、という傾向はもちろん各々にあるだろうが、思い込みの決めつけは人生をつまらなくするだろう。 それに一度や二度やってだめだったことを、できないと決めつけることはあまりにも軽率であるし無精すぎる。 そう、無精すぎるからできないということは私にはたくさんあると思う。 ということで、誘っていただいた手前、その大きな汗が書けない体質に切りこんでみることにした。 風呂というよりは、サウナに挑戦、である。 サウナなど、灼熱の地獄のような場所になぜ人が好んで入るのかが気も知れず、自分とは違う民族の習慣だと思っていた。 しかも灼熱のサウナと極寒の水風呂に交互に入るなんて、まさに身体を傷めつける極みだと思っていた。 絶対に健康に良くない。 とある巷で、銭湯にあるサウナ通いをすることを「サ道」と呼ぶらしい。 「茶道」への皮肉が感じられる言葉であるが、誰もそんなことは言っていない。 「茶道」も「サ道」も「書道」、文化の周辺事情は違えど双方に作法や極意があるという点では似たようなものである、と言ってしまえば、身の回りのあらゆることがその「道」であることになる。 ここ1か月半ほどで3回、月末にもまた行く約束をしている。 部活動したいね、ということで定期的に行くようになるのかもしれない。 メンバーは3人。 私にとって書はひとりで探究するという意味で部活動ではないが、句会は集まりがあるので部活動のようなものだ。 有志の物好きが集って、ああだこうだそれについて考えて実践する。 私は否応なく所属する組織というものはあまり好きではないが、部活動の集まりはどうやらすごく好みのようだ。 皆、時間とお金をそれに使いたいのだ、という合意がそこにある。 1回目は1回だけサウナに入ってあぁ苦しいと思ってふらふらと出て、サウナに戻れなかった。 更に辛いのは水風呂である。 身を縮めて入るからいけないのだと思うが、たとえ声を上げてよくてもあんなものには入れない。 温度差は心臓に負担がかかる、そんな長年の思い込みもその思いを後押しする。 2回目は友人のアドバイスを受けて、あぁ苦しいのその先までサウナから出ず、それを3クール行った。 水風呂は腹まで浸かってこの回も断念。 それにしても、私の身体がどうなっているのか、サウナに入っても汗が出ないものだから皮膚が乾燥して干からびそうになってしまう。 金のネックレスを外すのを忘れて、それが熱々に熱を持って危うく火傷をするところであった。 3回目は遠出をして祖師谷大蔵まで行く。 なんとここには銭湯にプールがある。 水風呂のような水温だったらどうしようと懸念していたが、水風呂よりは温かくて私にも入ることができた。 そこの銭湯はとても混んでいたのだが、プールは誰もいなくて15mほどのプールを独り占め。 一昨年に行ったフィリピンのプールも夢が叶ったと思ったのだが、また夢が叶った。 誰もいないプールでのびのび浮く、このことが私はとっても憧れなのである。 少し言うのは憚られるが、もちろんこの銭湯のプールは風呂の延長なので全裸で泳げるのである。 何という贅沢、何という至福。 東京にはあと1か所、プール付きの銭湯があるらしい。 肝心の「サ道」の活動においても、少し芽が出てきた。 サウナの湿度も高かったのだろうが、3クール目でじんわりと汗がにじんできたのである。 焦らず続けていれば、私の根底でこびりついて頑なに固まった汗かき機能も復活するかもしれない。 というか、そもそも私にも汗かき機能があったことがまず一安心だ。 この部活動には、その後の飲み会というのも含まれる。 それがしたい、というのもある。 銭湯上がりの言い知れない疲労感を携えて飲むビールの飲み方も少しずつ分かってきた。 このことも私はなぜか体に良くないような気がしていて、こわごわやっていた。 どうせやるのなら、こわごわやることそれ自体が身体に良くない気がする。 今まで自分でNGを出していたことに身体ごと突っ込むのは勇気が要る。 他人からすれば全くもって普通過ぎる事柄にも。 「考えるな感じろ」からの「感じるな考えろ」へのフェーズをまた過ぎて、「考えるな感じろ」フェーズへの何周目なのかもしれない。 私は人の誘いでもなければ自分のそれを解くことができないのが情けないところである。 誰だって己の身体を使ってこの世をダイブすることは、当然のように許されている。 先日の銭湯後に、私の多少の悩みをお酒を飲みながら話していたわけだが、「でっかい男になれよ」と含み多き感じで肩を叩かれた。 何だか泣き笑いしたい気分だった。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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