静岡の90歳を超えるペンフレンドならぬ筆フレンドからしばらく便りがなくて心配していた。
こちらからお便りを送ると、夏の終わり、下痢や食欲不振で体調を崩されていたとの葉書が返ってきた。 葉書はボールペンで書かれていて、筆を持つのもしんどいのだろうかと、御年が御年なだけにとても心配をした。 しかし、遠くの会ったこともない若造にあまりに神妙に心配されても困るだろうと思って、心配の言葉は少しにして、息子の月間写真集を同封して返事を書いた。 一笑していただけたのならとても幸い、である。 昨日いただいたお返事には、少しはお喜びいただけた感じの文面が書かれていたので良しとしよう。 具合もボチボチ、快方であるとのこと。 文通というのは改めて難しさがあるなあと思う。 何の気なしに書くと、季節の挨拶や天気の話、ご自愛ください、といった内容に尽きてしまって、時々の葉書ならまだしも、それでは文通にならない。 しかし、即時性もないし、PCのように入れ替え挿入削除など簡単にはできず、何度も書き直すのは億劫なので長文は難しい。 文通は何か新しい近況を、端的な文章で潔く書くのが望ましい。 文通はテンポが大切なので、返信までにあまり時間を空けてはならない。 とにかく何でも、拙くても良いから、何か新しいことを見つけてさささっと書かねばだめだ。 と思って、テレビ番組「新美の巨人たち」でやっていた小倉遊亀の絵が良いと思ったという内容を唐突に、また簡単に書いた。 そのことが返信時に看過されても、それが文通である。 やはり保育園について、とても悩ましい。 男性も子育てをする人が増えており、当然そうするものだという通念も育ってきていると思う。 夫は子育てにも私の仕事にも極めて理解があるし、実際に当然のこととして行動に移してくれる。 しかしながら、妊娠・出産・子育て、をやってみて思うのは、やはりいかようにも主導は女になりやすい、ということだ。 フェミニズムやら男尊女卑やら、そういうことではない。 妊娠・出産・子育てのとても多くの場面で自らの肉体を使わざるを得ないのが、女だからである。 だから女性は大切にされるべきだとか尊いとか、そういうことではない。 ただ事実、生物的に女は妊娠・出産・子育てをするように出来ているのである。 子育て、においては、女がどうしても主導になってしまうのは、母乳で育てている場合、また母乳を必要とする乳児期に限定されるかもしれない。 まあでも現実には、母乳で育てない場合にも母である女が子育ての主導をしていることが多いだろうとは思う。 主導する、ということは、決断をする、ということである。 私は、自分以外に影響が多大に及ぶ決断をすることが基本的に好きではない。 たとえば誰かと結婚することを決めたり、誰かと外出する行き先を決めたり、誰かと食事する場所や内容を決めることさえも全般的にできればしたくない。 おそらく私は、決める、ということには、責任、が発生すると考えていて、その責任を負いたくないというのが理由だと思う。 とはいえ、食事レベルの事柄であれば、どうしても食べたいと欲するものがあれば、その食事にまつわる前後時間まで含めて責任を負って提案することもある。 しかし、特別に、これと言って、外出も食事も、大した希望が無いことがほとんどなので、「あなたの好きにしていいよ」と言われるとやや不快にさえ感じてしまう。 「好きにしていいよ」という気遣いや恩を着せられた挙げ句、決断まで強いられるのだ。 一方で同時に、相手も私のように決断が好きではない人の場合は、相手にその決断の重荷を背負わせるわけにもいかないので、こういう場合には互いの協力体制が必要となる。 今回の我が家庭での保育園問題も、できれば私は決断をしたくないのだが、どうしてもこれは夫の問題ではなくて、ほとんどが私の問題なのである。 その前に、夫が会社員を辞めて私が家計を支える、あるいは夫が収入減を覚悟して働き方を変える、という変更プランもあるにはあるがそれは私も夫も望んでいない。 ダブルインカムでなくても工夫次第でいくらでも生活はしていける状況にはある。 実際に保育園に通わせるときに二人で分担することになるのは、送迎と保育料である。 それら全てをひっくるめて、夫は私の良いようにすれば良いと言ってくれている。 夫は私が決断を依頼すれば、おそらく夫の責任で決断をしてくれるだろうと思う。 しかし、「来月から保育園に入れる」という決断には私はNOを出すし、「3歳の幼稚園の時期まで働かずに子の面倒を見て」という決断にも私はNOを出す。 となると、NOを出す時点で既に私が一部決断をしていることになる。 夫に決断を委ねるならば、夫に決断を委ねるという決断を私がせねばならないことにもなる。 となると、決断はいつでも自分でしていることになるので、私が嫌がっているのは決断ではなく、出だしの提案か。 ともあれ、現状私が平日日中息子と一緒にいて、夫が働き方を変えることを私が望んでいないので、もう私の裁量に一任するしかないことは明白なのだ。 夫は相談には乗ってくれるだろう。 だから、今回は私が出だしの提案も決断もせねばならない。 息子と一緒にいたい気持ちと、息子の子育て環境への配慮と、仕事や創作を存分にしたい気持ちと、もう少しひとりになりたい気持ちと。 息子も私も日々変化し、波立っているので、いろんな日があって思うことが少しずつ違う。 息子がこんこんとよく寝る日とそうでない日は、もう私の気分に雲泥の差がある。 そんな波をひと波もふた波もみ波も乗り越えた後に、一時的な決断は下そうと思う。 決断への覚悟は持った。 そんな今日の日は、息子はとてもよく寝る。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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