サーキュレーターを出した。
うちには扇風機はない。 サーキュレーターを首振りで回すと、部屋の空気が明らかに攪拌されて気持ちよくなった。 空気が澱んでいる、というのがどうやら私は苦手なようで、だから私は窓や扉をしっかり閉められないのだと思う。 部屋が綺麗とか汚いとかではなく、むわ、とした密室は疲労が倍速でやってきて具合が悪くなるような気がする。 まあ埃は、むわ、を助長するものではあるけれど。 外でも、土地の低いところは空気が溜まりやすい。 渋谷は街並みもさることながら、谷底だから好きではないのだと思う。 散歩をしているととてもよく分かるが、東京は起伏が激しく、思いもよらない急坂がたくさんある。 ウロウロしていると、少しずつ空気の色合いが変わっていくのも散歩の楽しみのひとつである。 台地上の抜け感がある住宅街に行くと、あぁこんなところに住みたい、と思うのだが、一方で毎日まいにちこの急坂の上り下りをすると考えるとそれは出来ないなと思い至る。 しかしやはり、いつかこんなところで初夏の目覚めを味わってみたいものである。 ところで、扇風機というと3年ほど前に亡くなったおばあちゃんのことをよく思い出す。 エアコンは調子が狂うから嫌い、扇風機も自然の風ではないからできるだけ使いたくない、と言っていた。 ある時、私が扇風機を首振り微風に設定して、おばあちゃんと一緒に昼寝をしていると、おばあちゃんは目を閉じたまま「庭からいい風が入ってくる」と呟いた。 これが文明の利器だよ、と思いつつ、私も何も言わず昼寝を続けた。 何事も過剰は良くないが、人間は適温適風は、それが機械で起こされようとも気持ちが良いと感じるものである。 所謂“自然”信者を私はあまり信じていない。 “自然”の定義については、人間を含む、と言いたい方である。 深くないのであまり言及しないで欲しいが。 ここに住み始めて食パンを累計100斤ほど買ったのではないかと思われる近所のパン屋さんが店じまいしてしまってから、食パンを探し回っていた。 朝食を食べるようになって、朝は必ず食パンが食べたい。 徒歩30分以内のパン屋には全て行ったではないか。 幸い、住んでいる地域はパン屋が多いのだが、なかなか理想の食パンが見つからなかった。 理想の食パンとは、バターや生クリームが極力少なくて、重ためで小麦の甘さが感じられるシンプルな味わいのもの。 トーストすると、外はカリッと中はもちっとするもの。 山型ではなく、四角型のもの。 二斤型の直方体ではなく立方体の一斤で買えて、5枚切りにお店でカットしてくれるもの。 値段は300円前後。 ついに最近探し当てた。 パティシエをしている、近所に住んでいる生徒さんに教わったパン屋である。 上記の全てを満たす。 食パンは売り切れていることが多いので毎度電話して取り置いてもらっている。 ひとつ難点があるとすれば、片道20分ほどかかることである。 散歩がてら、良いのだが、雨の日は辛い。 が、食パンは、食べ物のこだわりがかなり無い方である私の大切なこだわりのひとつなのでお気に入りが見つけられただけで嬉しい話である。 息子は、ふるふるゆらゆらと自立を始めている。 ぱちぱち、手を叩くこともできるようになった。 けいこに頼まれた書のお礼に、息子の蟹と白熊のTシャツなどが届いた。 大変な状況にいる友人に贈りたいと、ある歌の巻物を作った。 書のお代はと聞かれたけれど、さすがにけいこからはもらえない。
0 コメント
あなたのコメントは承認後に投稿されます。
返信を残す |
勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
|