産後は抜け毛が酷くなる、とよく言うが、私は平時から割と抜け毛をするほうだと思うのでさほど気になっていなかった。
ところが、前髪の生え際に男性の髭のような感触のツンツンジョリジョリした硬い髪の毛が生え始め、あっという間に3、4センチほどにピンピンと成長した。 ジョリジョリしたものを自分の頭皮に感じるなぞ全く初めてのことであったのでびっくりした。 今、ポンパドールにするとちょうどイワトビペンギンのようになる。 私の身体はきっと、産後、と呼ばれる期間に一区切りについたのだと思う。 身体も気持ちも、臍帯を切り離してなお繋がっていた息子と互いに一つひとつになれてきたのかもしれない。 あとは卒乳だけである。 2ヶ月前、息子があまりに哺乳瓶と離乳食を嫌がる時期に、もうおっぱいを止めるからねと私は本気で言い聞かせていたのだが、結局ここまで来てしまった。 おっぱいの出はあまり出なくなってからは変化ないように思うが、息子のおっぱい好きはどんどんと加速しているように見える。 夜中も寝ぼけながら必死でおっぱいを探している。 出ないおっぱいに長いこと吸い付いているから引き剥がすと、なんでーー!と怒る。 求められるのは嬉しいので私もなかなか止める決断が難しい。 息子の嬉しそうな顔は何度も何度もいつでも見ていたい。 元より、ほとんどの場合、他人の嬉しそうな顔はみんな好きなものだろう。 それにしても、出産が去年で本当によかったとやはり思ってしまう。 ここ2,3ヶ月、また今から出産を控えている人はどんなに不安だろうか。 立ち会いもできず、まさか分娩室とZoomを繋ぐなんてことが出来るのであろうか。 気を確かに、頑張って欲しい。 こういった場合出生率も下がるのだろうか。 忌み嫌われていた丙午も数年内にもうすぐ来るが、現代におけるその出生率も気になるところである。 さて、延期になっていた書の展示会であるが、6月にWeb展示をすることが決まった。 軸装した作品ではなく、それ以外に4点、裏打ちも表装もしないまま出品し販売する。 書の骨董市だと思っていただけると良い。 キュレーターの方は、真意は分からないが、4点傑作だと言ってくれた。 本当に、「なんじゃこりゃ」というような作品というか書き方なのだが、私もようやく自分の書の型のようなものができたということも含めてなかなか良いのではないかと思っている。 まあいつだって少なくとも自分は書き上がった時点ではなかなか良いと思っているから、それが後日、後年の鑑賞に耐えうるものかは時を経てみないと分からない。 今回、売る、ということを初めてする。 依頼された作品や意図せず売れた経験はあるのだが、他の多くの作品と並べて売り出されるのは初めての経験である。 まくり、と呼ばれる書いた紙そのものの状態、しかもWeb上の画面のみの判断で、である。 自分でさえ書作品を購入した経験が少なく、というのは、書作というのは自宅も漏れず一般的な家のインテリアには合わないことが多く、せっかく手に入れても常時見ないのでは意味がないではないかと思っていた。 しかし、キュレーターの方に聞いてみると、なんとコレクターの方は基本的には飾らないのだそうだ。 もちろん飾る場合もあるが。 普段はしまっておいて、時々うへへと涎を垂らさないように眺める、またコレクター仲間に自慢する、そういうことらしい。 それで、その作品がオークションに出るような作品まで上り詰めれば金融商品として売却するというのも大きな楽しみであるらしい。 「何かよく分からないけど何か気になる、何か、何なのか、何か、良い」そんな作品を買い求めるのは、書に精通した人でなくても全然良いのかもしれない。 蚤の市で偶然見つけた自分しか分からないだろうという良さげな掘り出し物、それをふと買ってしまう、そんなことなのだろう。 今回は書作品としては激安だが、それでも表装なしで数千円はする。 売れるのだろうか、と半信半疑というか、半信以下なのだが、どうなろうとも楽しみだなと思う。 もちろん、このブログの読者様もお買い求め頂けます。 すべて一点ものでもう絶対に二度と書けませんし、この界隈ではなかなか良いものだと自負しております。 なんて、告知と宣伝をやっていこうという覚悟も必要である。 よろしくお願いします。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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