毎年依頼を受けて残暑見舞いと年賀状を書いているのだが、ああいった、同じものを複製する仕事を私は好んでいる。
来る日も来る日も今年も来年も、ということでなければ。 昔、大学生の頃、バイトもそういったバイトを好んでやっていた。 返却されたレンタルビデオのカバーの張替えとか、化粧品の瓶のふたを閉めるとか、ひたすらに個人情報をパソコンに打ち込むとか。 1時間でどのくらいできるか、次はもっと上手くやれるか、そんな己との闘いに躍起になって、とっても辛いのだけれど一時間前の自分に負けるのは許せなくて。 終了後は、軽いマラソンを走り切った後のような達成感と解放感に酔いしれていた。 この戦いの対価としていただける報酬は受け取りやすく、何とも対等な感じがして良かった。 自分が同じことを繰り返す作業に向いている、と思っていたので、そういった仕事に就いた方が良いだろうと思っていた。 だから会社員だった頃、もちろん学生時代のバイトのような反復作業だけではなかったものの、その傾向が強く、新しく仕事を生み出したり、交渉して仕事を取ってくるなどは酷く苦手であった。 今はどうだろう、と思う。 いつからか私は「少しでも新しいものが見たい」という価値を重んじているので、同じ作業を繰り返して走り切る、という仕事を好んで取りに行ったりすることはほとんどなくなった。 でも年に2回ほど、そのような類のお仕事をいただけると、過去の高揚が戻ってくるようで楽しかったりもする。 紙の枚数は限られており、間違えられないし、私からはまだ見ぬ人様へ届くものなので緊張もするし、普段あまり使わない方向の神経を使って非常に疲れる。 しかしこの仕事は集中してやれば必ず一定の時間で終わることが分かっており、ゴールへ向かって邁進しやすいと言える。 そしてまた疲れは心地よさにも一役買う。 一方で、作品揮毫の依頼においては、もう全然違う緊張感がある。 少なくとも自分が良しとするラインに仕上げねばらないので、書いている途中には本当にこの作品は出来上がるのだろうかと大不安になる。 そうは言っていても仕方ないので、負けるな負けるな大丈夫、と自分を落ち着かせながら制作に向かう。 自分のために書いている創作とは本当に訳が違う異常な状態になるのだが、気合いを入れすぎても良いものが出来ないのが難しいところだ。 だから、この大不安に自分を慣らすべく、まずはその状態で作品のレイアウトを固めるくらいには書き込むことになる。 そして、自分が良しとするものが出来上がっても、今度は依頼者の評価を聞くまでまたもや大不安になる。 そしてOKをいただいても、作品を表具屋に無事に汚さず濡らさず破らず届けて、表具をしていただいて納品するまでも気が気でない。 そして、作品の場合、その出来には基本的に上限がないため、もっと良いものが書けたのではないかという一抹の不安も残る。 しかしながら、いつだってある時間の中で可能な限りの最高を出すしかない、という正論を言い聞かせて仕事の終わりとする。 あるひとりの生徒さんに、「先生に是非こんなふうな仕事をしてもらいたい」という仕事の提案を受けた。 私もそのことについて考えたことがないわけではないのだが、今までやったことない類の仕事なので二の足を踏んでいる。 向き不向き、適材適所、というのはあると思っているが、未経験のことについては、ある程度予測ができるとしてもやってみる他ないよなあと思っている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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