生徒さんたちから年賀状がわらわらと届く。
去年もそうだったけれど、やっぱりちょっと感動する。 自分がこういう仕事でご飯を食べているのだなあと実感もする。 私のところに習いに来ている方は字が苦手な方が多い。 字を書くのが本当に嫌だ、という人さえいる。 そんな方たちが悪戦苦闘しながら、あぁもう嫌だとか、心が折れそうとか、また失敗したとか、そんなことを思いながら特段出す必要もない年賀状を出してくれる。 まあ、半ば私がそれを焚きつけているのだけれど。 別に書家でなくても、創作意欲とかそういうことがなくても、字が苦手でも、それができるようになりたいのであれば人に見てもらうものを書くということは結構大事なことだと思っている。 もしそれが好きならもう既に一人で勝手にやっているはずなので、一人ならばなかなか手が出ないことは、何かしら理由や期限があった方が良いのだ。 一般的なきれいな字を判断しているのは、社会全体であり、他人であり、己の社会性であり、己である。 一般的なきれいな字になりたいと願うとき、とても多くの場合、他人との比較が入っている。 ならばその他人に対してのアピールはあっても良いし、それを乗り越えていくことは少なからずコンプレックスと言われるものの克服になり得るだろうと思う。 万に一つ、そんなコンプレックスを抱えた人が、誰から「字が上手ですね」と言われた日には昇天の思いがしたっていいとすら思う。 それでも自分の字に対して満足できないなら、そここそがゼロ地点なのかもしれない。 さてはて私はどんな字を書けば満足いくのだろうか、それは他人にはきっと分からなくて、自分でも掴みづらいものだろう。 あれやったりこれやったり、そのことを教えるなんてことになったときには、その糸口になりそうなことを私は自分の経験から話をしていくしか方法はなく、もちろん私にだって正解は分からないどころか、むしろ私が方法論を教えてほしいくらいである。 ところで、あまり興味のない面倒で億劫なことは人とやるべし、と私は思っている節がある。 ある人にとっての年賀状だったり、般若心経だったり、やり始めれば頑張れるし、やったあとにはジョギング後のような爽快感があることも知っていてそれは悪くないと思っている類のことは、それを一緒にやってくれる人がいると良い。 現にレッスン時間中に年賀状や般若心経を書きあげた方たちはこれについてとても共感してくれた。 私にとって料理などがそうで、ハンバーグや餃子やデコレーションケーキなど、絶対に絶対に一人でいたら作らない面倒な料理も、誰かと気分を盛り上げてやれるのなら楽しいことに変わることだってある。 1月も8日。 仕事もばりばりと始まった。 用があって今日の夕方からけいこが来る。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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