もう15年以上、自分のこととして、3月が終わることにどきどきし、4月が始まることにそわそわしたことがない。
最後に間隔を味わったのは、大学を卒業して新社会人になるときだった。 巣鴨と大塚の間くらいにいもうとと一緒に住み、お互い新しい春を一緒に迎えた。 4階の部屋からは小学校の桜がよく見えた。 エントランスにステンドグラスのあしらいがあって、素敵なマンションだった。 あの時以来、3月終わり4月始まりという区切りで何かをしたことはない。 それでも3月や4月の皆が浮足立っている感じには、都度踊らされてきた気がする。 そして今年の3月、今年の4月。 私は言いようもなく、自分のこととして、どきどきが止まらずにいる。 息子が今の保育園を卒園して、新しい保育園に移るからだ。 「もうすぐ今の保育園は終わりだよ。4月からは新しいところに行くのよ。」と少しずつ説明しているが分かっているのだろうか。 しかも、3月31日の卒園から4月10日の入園まで、保育園とは無縁の空白の家庭生活となる。 どうにもしようがないので二人で旅に出るのだが、その間に保育園の生活を多少なりともリセットされてしまうであろうことが恐ろしい。 息子は同い年くらいの子がどちらかと言えば苦手だ。 今同じ保育園に通っている子は大丈夫だけれど、見知らぬ子への警戒心が強い。 まあ子どもはどんな行動をするか読めないところがあるので、いきなり触られたり大声出されたりすることもあるわけで、それが怖いというのは致し方ない気もする。 今の保育園は全部で7,8人の超小規模園、新しい保育園は全体で100人規模の大きな園。 3歳児からは一人あたりの先生の数も激減する。 今までの環境とは真逆になる。 いつかのタイミングでそういう経験はすることになるから、それが今年の4月だというだけだ。 しかしながら、たくさんの子の中で遊べるだろうか、不安で泣きはしないだろうか、トイレやご飯の主張ができるだろうか、息子が緊張して強張っている顔ばかりが浮かんで仕方がない。 慣れるしかないし、少しずつ慣れるだろう。 過ぎてしまえば良い思い出、ということは今でさえ想像できるが、渦中にいるときに感じる気持ちはやはり当然支配的だ。 今でこそ私はそう見えることもあるかもしれないが、私も夫も元々あっけらかんとしたタイプの人間ではない。 無論、息子もだ。 自分のことなら何とでもなるような気がするが、自分のことでないから、余計に心配してしまう。 しかし、親が緊張や不安ばかり見せていたらそれを確実に伝染するだろうから、何とかあっけらかんとしていたいものである。 新しい4月。 同じく新しい4月、新高校生になる生徒さんに心ばかりの入学祝いを渡した。 東京ではそうでもないかもしれないが、中学までは自分の意思とは関係なく進学していけるが、高校は少なからず自分の意思が反映される。 高校生になるというのは、ひとつ”おとな”のような気がする。 入園式は園の門の前で、スーツ風の洋服を着た息子と、ノーカラーのジャケットとひざ下丈のスカートをはいた私が写真を撮るのだろうか。 夫は仕事だと思うが、その場合、誰が写真を撮るのだろう。 <YouTube> ⇒【墨流し=アコギ🎸?】材料6つ!誰でも簡単!幻想的★【マーブリング】 - お字書き道TALKS #018 ⇒【Jazz音楽における二度書き的な話】ミスはアイディアの源泉?【ポジティブ二度書きしよう!】 - お字書き道TALKS #017 <note> ⇒キラキラネームが消滅!?2023年現在名前に使える文字全部【前編】 ⇒沖縄が琉球王国だったとき、日本語の平仮名を日本よりも使っていた
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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