東京タワーは、灰色の曇り空を夕焼け時が止まったみたいに淡くオレンジ色に染め続けていた。
真下から見上げるに仰け反ってしまうその大きさと、圧倒的に空を突き抜けるシンメトリーなその形と、頑強に組み上げられた美しい鉄骨と、洗練されたライトアップと、東京タワーは高い確率で見ると感動する。 たまに来ると、いつだってちょっと以上に良い。 お茶の水から東京タワーまで、18000歩くらいを奇妙に散歩した。 iPhoneに元々入っているヘルスケアというアプリは、日々の私の歩数を勝手にしこしこカウントしてくれていたことを初めて知った。 真っ直ぐで整然として由緒ある皇居周りの大手門から二重橋前のあたりの内堀通りは、雑多で活気に満ちた東京の街とは一線を画した都会の凄味がある。 進行方向左は松ばかりがたくさん植えられた広場と、内堀通りの道路を挟んで、右にはもう暗くて見えない皇居の森、距離感がうまく掴めない向こうの方には絵葉書みたいな現実感のないビル群が小さなキューブの光をたくさん灯していて、凱旋門のような薄灰色の国会議事堂も遠くに見えた。 下町の商店街の賑やかさも悪くはないけれど、静かでがらんと広い東京を見つけたときは、あぁ良いところだ、と思う。 皇居の周りや、小石川植物園や東京体育館や。 空は広くて、地球は丸い。 それらの場所は私が其処彼処の丘陵地帯が好きな多くの理由と被っている。 すっきりと見渡せるほどに広くて、風の匂いがして、空が広くて、地球が丸い。 散歩をした昨日は、冷たい風が吹きすさんでいて、お花見日和なんて言えなくて寒が戻っていた。 どこか遠くの、緑と土の薫りのする丘陵に、晴れてうららかな新緑の季節に、欲を言えば花が咲き乱れているような、それはとっても行きたい。 道中、御茶ノ水でギターアンプを見て欲しくなって、サムピックを買って。 そういえば2年ほど前の今頃、レスポールのギターを買おうとしていた。 ストラト、テレキャスター、フジゲン、エピフォン、サンバースト、バインディング、その時に覚えた言葉たちのいくつかは定着して、いくつかは意味が合致しない。 ローランド、キューブ、ブラックスター、オレンジ、DV MARK LITTLE JAZZ、また新たに奇妙な単語たちが私の脳にうっすらと皺を増やした。 東京タワーの界隈にはいくつか桜が咲いていて、花見客がブルーシートを広げて宴会をしていた。 花は大好きだけれど、思い返してみれば東京タワーの写真ばかりで、桜の写真を一枚も撮らなかった。 それから、合理性を全く無視して、赤羽橋から大江戸線に乗って、東中野に移動する。 冷たい雨まで降ってきて、傘などなくて眼鏡が視界を濡らした。 酢飯が苦手な私でも食べられるお寿司屋さんに入った瞬間、眼鏡がぶわっと曇ったので眼鏡を外すと、視力0.1の世界に切り替わってくらっとした。 目の前の焼き鳥屋さんにはしごして、焼き鳥を三本くらい食べてまた電車に乗る。 チレは肺ではなくて、脾臓らしい。 フルヤ君がいるかも、とジョナサンに続いた。 フルヤ君はいなくて、夜は簡単には明けなかった。 フルヤ君とは、誰なのか。 翌日、目覚ましのスヌーズモードを11時半から5回くらい繰り返した。 出かける前にシャワーを浴びなければもっと寝られるとひらめいた。 スヌーズ、というのは「居眠り」という意味なのか。 ジャスミンティーを淹れて、かき菜と葱と手羽元をあごだしで煮る。 うどんを茹でて、かき菜と葱と手羽元のかけうどん、にして食べた。 かき菜はつるむらさきみたいで茎が美味しい。 よく行く近所のパン屋さんで食パン半斤と小さなあんぱんを買った。 たとえば明日、ポケットにあんぱんを入れて出かけたらどうだろう。 奇妙な散歩について、ある奇妙さを散りばめて滲ませて。 感覚的には花粉のピークを越えた。 毎年何とも言い難い体調不良感が続いて、もちろん日々にるんるんの日もあればそうでもない日がある波の有り様には変わりはないけれど、花粉による体調不良のせいで心や脳に綿でも詰められたような気分になる割合が増えてしまう。 もうすぐ、開けるだろう。 目が腫れているのか傷ついてしまったのかコンタクトレンズができないので眼鏡で過ごす。 一日を通して眼鏡をしていたら、世界への手触りが遠くなる感覚がだんだんと世界と一致するようになってきた。 しかし、駅で急に話しかけられたと思ったら、「バッグが空いていますよ」と言われてしまった。 ありがたき忠告だ。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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