息子の初めての予防接種、注射を3本と飲み薬を1つ、やってきた。
朝からそわそわしていたのは母である私の方である。 息子は産まれてすぐ、鼻から管を通されたり、点滴を刺されたり、血糖値を測るために毎日針を刺されていたから、医療処置の経験はあると言えばある。 しかしこの処置は、血糖値計測以外は私が目の当たりにしていないので、息子がどんな顔していたかは知らない。 1か月検診以来の病院。 1か月検診までは出産をした大きな病院だったのだが、予防接種は街の小児科で受ける。 小児科は徒歩圏内にいくつもあるけれど、どこが良いのかさっぱり分からなかったので、よく通りかかる近所の小児科に予約を入れた。 案外病院臭くない病院で、これなら次回以降病院に足を踏み入れた瞬間に匂いで注射を思い出すこともないだろう。 ちらほらと同じ月齢くらいの赤ちゃんがいた。 問診票を記入して間もなく診察室に呼ばれた。 すごくどきどきする、私が。 お医者さんが今回の予防接種の説明を早口でしてくれるのだが、どきどきしているのでさっぱり頭に入ってこない。 はい、はい、と私は同意してサインをし、息子は看護師さんに抱かれて固定され、お医者さんは慣れた手つきで躊躇なくぶすりと腕に針を刺した。 私は自分が注射を打たれるとき、血液検査などあらゆる注射針から目を反らして受ける。 しかし息子のは見届けねばならないとなぜか思い込んで、注射針と息子の顔を交互に見ることにした。 小さな腕に、やたら大きく太く見える注射針。 ぶすりと肌に突き刺してから、薬を注入するのにポンプがぐぐぐと押される。 息子はいつも見せるような不快な表情とも違う、痛い、という表情で大口を開けて泣いた。 もう、私が泣きそうである。 よく、代われるものなら代わってあげたい、ということを聞くが、少なくとも注射ならば本気でそう思った。 注射にも耐えられないような男になってほしいわけでは毛頭ないが、こんな小さき者に苦痛など与えたくない。 哀しい顔も、痛がる顔も、母の私がどうにも見たくないのである。 3本の注射が終わって、泣いている息子を私が泣きそうになりながら宥め、ロタウイルスという任意の予防接種の飲み薬をぺろぺろと舐めて、待合室で少し安静にして。 意外とすぐに泣き止んだけれど、まだ私がどきどきしていた。 そうして息子と私の初めての予防接種は終わった。 ベビーカーに乗せるとすぐに息子は寝てしまった。 疲れたようで夜になってもよく寝る。 発熱をすることもあるので気を付けて見ていてくださいと言われたが、今のところすやすやと眠り、今日の体験を引きずっている母の心配は杞憂のようだ。 これから2年ほどの間、予防接種の嵐である。 もちろん、自分が幼い頃に受けた予防接種の痛みなど覚えていないし、記憶にある小学生頃の注射も特にトラウマになったりなどはしていない。 だから本人はまあ、一時の痛みを感じるだけなのだろう。 となると、この試練は母である私のものなのか。 来月は今日よりも増えて5本の注射があるらしい。 例えば誰かの痛みを代わることができたとして、例えば息子が出産することになっても私は絶対に代わってあげないが、筋肉注射5本なら何の躊躇いもなく代わってあげたい。 もちろん予防接種の効果は息子のもので。 実際には誰の痛みも代われないのは、心苦しい面もありながらやっぱりそれで良いのかもしれないと思ったりもする。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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