どんどこどんどこ、月日が流れていく。
どんどこどんどこ。 最近は電子レンジの数十秒の時間も、もう戻らないものなのだなあなどと思ったりする。 息子が3歳児検診で引っかかって、区のテストを受け、そして療育に行こうかという手筈をしていて私は日々忙しく過ごしている。 午前中息子を療育の体験に連れて行く、というミッションは、文字通りのことだけではなく、思いの外広域に影響を及ぼす。 前日から「明日は違うところで遊んでから保育園に行くからね」と何度も言い聞かせ、電車の道筋を書き、朝もそれを言い続け、電車に乗れるから嬉しいものの、療育体験後に保育園を嫌がる彼を何とかかんとか連れて行く。 よく育児系の漫画や記事を読んでいると、HPがない、という言葉を見かけるが、本当にHPがなくなる。 (ヒューレットパッカードでもなく、ホームページでもなく、ヒットポイント、らしい。) 時間にしたら3時間程度、歩数にしたら3000歩とか、そんなものなのにも関わらず。 例えば、自分だけが午前中に療育の面談に行く、という予定であれば、そんなに疲れることはない。 駅まで20分歩いて、すでに本日6000歩を超えているとしても。 と言っても、息子は特別に駄々をこねまくっているわけでもないのだが、HPは歴然と減る。 実際に本格的に療育に通うとなると週1が最低ペースなのであるが、仕事もしたい中で、そんな生活可能なのであろうか。 とは言え、療育、というものの素晴らしさを実感している。 一般的に、子どもの悩みというのは真皮よりも深いもので、デリケートで、ナイーブで、神経質なものだ。 思わぬ地雷もたくさんたくさん埋まっていることだろう。 子どもの対応もさることながら、療育の先生たちは、親の精神に寄り添うこと能力に皆長けている。 優しい顔で、ゆっくりとしたペースで、頷きながら、話を聞いてくれる。 また、子どもに対しても、その子にカスタマイズしたプランを丁寧にやってくれる。 息子にしてみれば自分を認めてくれながら最大に遊んでくれる大人、の存在の登場である。 それは有難いことこの上なし。 実際のところ、前も書いたが、いくら私なりに客観的に見ても、私は息子のことを変だと思わないので、そのことを正直に話すと先生方は「お母さん素晴らしいですね」とおっしゃる。 これに関してはそう言われたいわけでも決してないけれども。 息子と同じくらいの月例の子が、目や鼻や口のある顔を描けるとか、トミカの道路を立体的に組み立てられるとか、比べると確かに息子はそんなこと全然できないけれども。 確かに、どんなこともできないよりもできた方が良いけれども。 まあでも、いつかはきっとできるようになるのではと思う。 息子はもう漢字を10個以上読むけれど、それをいつかはその子たちもできるようになるだろうということと同じように。 できることを伸ばしてあげる、私はそれで良いと思っていたけれど、検査からの療育体験で一つ思い直したことがある。 それは、3歳の時点で苦手分野を苦手としなくても良い、ということである。 三つ子の魂百まで、ではないが、きっと本質は変わらないにしても、あまり好きではない分野も「悪いものではない」くらいに思えることはきっと今後の人生にプラスなのではないか。 心理士の先生がおっしゃっていたが、食わず嫌いの興味の開発、は少しずつ促していっても良いのかなと思う。 息子の場合で言えば、創造的想像的なことをすること、手先を使うこと。 気が付けば喋る家電の機械音を覚えているし、Youtubeの動画を見て電車のアナウンスを復唱していたりして、確かにあまり手を動かすことを好まない。 たぶん、おそらく、そんなに手を動かすことに衝動はないのだろうけれど、まあでもここらで手を動かして何かを作れる、などの体験を促しておいても良いだろうと思う。 ところで、ここ1、2か月ほど、療育関連で私は結構動いていたのだが、その間に息子は大きく変わってきた。 お母さん以外誰もダメ、という劇的人見知りの彼だったが、ここに来て大人への人見知りはほぼ全解除となった。 散歩中に知らないおじさんにもこんにちはと言うし、私の兄にも抱かれるし、中三の甥っ子の膝にも入った。 大快挙であるのだが、いとも自然に彼は大人への警戒心を解いていた。 子どもはまだ逃げてしまうところもあるが、それでもだいぶ解消している。 質問へのオウム返しも確実に減ってきている。 3か所療育の体験に行ったが、保育園以外初めての母子分離も彼は少しだけひきつっただけで難なくこなした。 体験中も楽しそうに課題に取り組んでいたそうだ。 私がこの類のことに関してやったことは、私の余裕があるときは全面的に甘えさせる、ということだったわけだが、とりあえずはここまでに関してはそんなに間違いはなかったのでは にないかと思っている。 彼は私のいない世界を一人で切り開いている、きっとその背景にお母さんはそこにいるから大丈夫、そんな気持ちがあるのではないかと思う。 私の思い上がりかもしれないけれど、私はそんな安心感を持ってもらいたいとは思ってやってきた。 時々、この方針に関しては、間接的に批判を食らったりもしたけれど。 療育先も全体的に私のフィーリングで決めることになりそうだが、決めようと思っている療育の施設長から言われたことが耳に残っている。 私は、「今の息子を見ていると療育を受けなくても良いのではとも思っていて。待機も多い療育なのでもっと困っている人に受けてもらった方が良いのではないかとも思っている。」と率直に話をした。 「もちろんそのご家庭次第の考え次第だけれど、困ってからでは本人の心が閉ざされてしまっていることもあるので困っていないときにもこういったところがあるのも良いですよ」とおっしゃった。 私が受けた印象では、息子は絶対的に療育を受けた方が良いと思うから、ということでもなく、そうおっしゃった気がする。 心底、なるほど、と思った。 有難く、利用させていただこう、そう思った。 何だか、書けば書くほど、私は息子のことを甘々に見ているような気もするが、実際にそうなのかもしれないが、それはそれでおめでたいことなのではないか。 これを書いている間、僕はお母さんと寝る!とYoutubeの動画を見ながら私がカシャカシャ何かやっているのを終わるのを待っている。 健気でまっすぐな彼が私は大好きで、たぶん彼も私のことが大好きなのではないかと思うところが、どうしようもなく、どうしようもない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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