東京駅。
日曜日の18時半、下り新幹線はとても混雑している。 品川から乗らなくて本当に良かった。 私は何かのプレゼンターのような黒服に身を包んでいる。 おじいちゃんが死んだ。 不意に、と言うべきか。 ついに、と言うべきか。 93歳、たぶん。 おばあちゃんが危篤だと聞かされた後復活したと聞き、今度はおじいちゃんの調子が良くない、と聞いていた。 兄の上京が結局取りやめになったのもおじいちゃんの具合が良くないからという理由だった。 人はいつか絶対に死ぬし、一般的に言って死ぬ確率は経年ごとにどんどんと上がっていく。 不老不死の薬を求めていた昔々の中国人だって、誰一人残ってはいない。 死ぬのがいつなのかは誰も分からない。 93歳だって、今日かもしれないし明日かもしれないし10年後かもしれない。 20年後の確率は極めて極めて低いことは言えるだろう。 それが昨日だっただけである。 93年、長いだろうか、短いだろうか。 大往生ですねと言われれば間違いなくそうだろう。 おじいちゃんは、若い頃を戦争で過ごし、シベリアに行って捕虜となり、命からがら日本に戻って、高度経済成長期に車の部品を作る鉄工場を立ち上げ、鉄筋コンクリートの自慢の家を建てた。 子供が生まれ、子供を亡くし、孫が生まれ。 私はおじいちゃんの生い立ちについて、ざっくりとこのくらいしか知らない。 シベリア時代に覚えたほんの少しのロシア語を話せることや、食べるものがなくてベルトの革を削って食べてみたことや、伊勢湾台風のときに迫りくる水から機械を守ったことや、盲腸の手術で麻酔が効かなくて麻酔無しで手術を受けたことなど、ばらばらとしたエピソードは聞いたことがある。 そういえば肉親の人生の物語というのは、詳しく知っている人の方が少ないのではないだろうか。 家族のひとりとしてではなく、個人の、独立した、ひとつの人生を辿ってみるのは興味深いかもしれない。 しかしなかなかタブー感のあることなのかもしれない。 おじいちゃんが死んだと聞かされたのはいもうとからの電話だった。 普段電話をかけてくるような人ではないので胸騒ぎがして、レッスン中ではあったが電話を取った。 「仕事中?じいちゃんが亡くなったって」と、姪っ子たちが騒いでいるのをバックにいもうとは言った。 一瞬、私の世界から音が消えた。 父が死んだときは、3秒くらい音が消えた。 あぁ、この世界からいなくなっちゃったのか、と思った。 心の奥深くがぼわんと空洞になったような感覚があって、私はそのまま仕事を続けた。 私は昨日、ちゃんと喋れていただろうか。 今日のレッスンは後ろのお二人に断りを入れて、今新幹線に乗っている。 泣きたいような、泣けないような。 棺桶の中のおじいちゃんはどんな顔をしているだろう。 ありがとう、お疲れさま、と言おうかしら。 その前に泣いてしまうだろうか。 明日火葬したら、肉体は骨と化す。 地面にかかる重さが、おじいちゃんの分だけ減る。 そんなことを考えている。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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