保育園に息子をお迎えに行くと、園庭の隅っこ、かなり遠くに小さく見えた。
何をするでもなく、うねうねと辺りを歩いていた。 息子は何だか元気がなさそうに見えた。 それは、体調が悪そうというものではなく、精神的に落ち込んでいるといった感じ。 ひとりで淋しそうにしている息子を見るのは気持ちがぎゅうっとなる。 それから息子は私を見つけ、いつもなら犬のように走ってくるのに、はにかんだような顔をして身のやり場のない雰囲気だった。 先生に話を聞いてみると、つい先ほど、息子は帽子を誰かにひょいと奪われてしまって、それで落ち込んでいたらしい。 やっぱり落ち込んでいた。 あんなに遠くに小さく見えても、人は落ち込んでいる様子が表れるのだなあと思った。 息子は、おもちゃなどを取る側/取られる側に分けるなら、明らかに後者である。 優しい、というのとはちょっと違って、なんというか、気が弱いのである。 物を取られても息子は言い返したり叩いたり取り返したりもしない、というか、できない。 しかし、人の物を取る/取られる、悪いのは前者だ。 先生たちもその様子を見かけ、取った子に注意をしてくれたと言う。 息子は気持ちのやり場がなくて困っていたので、ぎゅうっと抱きしめる。 しかし、こういうとき、どのように声をかけたら良いのだろう。 「物を取られないようにしっかり警戒しなさい」 「取られたら取り返しなさい」 「取られたら嫌だと言いなさい」 どれもしっくりこないのだが、強いて言うなら、「取られたら嫌だと言いなさい」だろうか。 幼い子の世界で、言論により解決が可能なのだろうか。 もし叩かれたのだとしたら、 「叩かれないようにしっかり警戒しなさい」 「叩かれたら叩き返しなさい」 「叩かれたら嫌だと言いなさい」 嫌だと言うだけだとやられっぱなしな気もするし、四六時中叩かれないよう警戒する気の抜けない生活も良いとは言えない。 かと言って、叩き返すのは戦争の始まりのようにも思う。 嫌だと言うのは、言い方にもよるだろう。 怒って嫌だと言うのか、冷静に嫌だと言うのか。 そして何より、おそらく子どもの世界というのは大人の世界とだいぶ違うと思うから、大人が安易にアドバイスをして良いものかもよく分からない。 今私にできるのは、落ち込んでいる息子に、大丈夫かと問うことと大丈夫だと伝えることだろうか。 公園に寄って帰る道中、もう一度抱っこしながら「大丈夫?ぎゅうってしようか?」と聞くと「さっきしたじゃん」と言われた。 そうだね、さっきした。 映画を三本観た。 「Winny」「日本のいちばん長い日」「すばらしき世界」 「Winny」がとにかく泣けたのだが、私は最近映画などでほとんど泣くことはないのだが、どなたか観た方の感想を聴きたい。 自分の現在の琴線の在り処を知りたい。 <Youtube> 【書道古典・蘭亭序】書いたのは○○?【王羲之?】 <note> 【王羲之伝説!?】と20個の「之」を眺める
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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