もう二月になってしまった!!!と不意に大焦りしたのだが、まだ一月中であった。
何せ先週一週間まるまる、息子の保育園がお休みになるという非常事態に、時の経過があやふやな状態になっている。 一週間ぶりに、私は両手を広げて走ってみたり、階段を駆け上ってみたりした。 じゆうだーーーーー、というこの高揚した気持ちは、明らかに締め付け状態からの解放が起こしているものであり、それがあるからこそのものとも言える。 息子は可愛い。 べらぼうに可愛い。 愛おしいし、尊いし、大好きである。 相も変わらず、この可愛い子に一番好かれているのがなんとこの私であって、しかもこの可愛い子の社会的最高保護責任者というお役目まである。 未だに私は所謂血のつながりのようなものの確かな実感を持てずにいるので、このような言い方になるのだが、それはそれで、私の元に息子がいることの奇跡度が増す気がする。 しかしどうにも四六時中一緒にいるということは身体に良くない。 第一に、やることがない。 詰まるところ、何か少しでも良い、達成感が欲しいのだが、なかなか達成感のある子どもとの遊びを見つけられずにいる。 ブロックも積み上げるより壊す方が楽しいようだし、比較的興味のある車を走らせてみても10分くらいで私も飽きてしまうし、散歩に出かけても無論遠くまでは行けず、他人の家のエレベーターばかりに突進していくし、外食なんぞできたものではない。 時折、ひとり遊びに夢中になっていることもあるがだいたい10分未満であって、あとは私の元にきらきらした笑顔でやってきてまとわりついてくる。 ほんの少し目を離した隙にダイニングテーブルの上に上っているし、コーヒーサーバーに入っているコーヒー(冷めている)を飲んでいたり、そのコーヒーサーバーを買ったばかりの7000円のカップにぶつけて割ったりする。 もちろん私が悪くて、そして息子が怪我しなくて良かった、と思うのだが、買ったばかりの高いカップが割れてしまったことは厳然たる事実である。 息子を部屋の中で自由にさせながら、私は郵便指導の方の封筒のあて名書きをしたり、コーヒーや水切りネットなどを補充してみたり、不便だと思っていたところにフックをつけてみたりと、細々とした達成感を見つけて行う。 しかしもちろん、戸棚の中の整理を始めてみれば息子は喜んでやってきて、わーいいつも開いてないところ開いてる~~と言わんばかりのわくわく加減で散らかしにやってくる。 ただ本人的には私を手伝っているようで、息子のやり方で戸棚に物をしまってくれたりもする。 そんなこんなでようやく両目と両手に解放感を感じる今日の日はあっという間に過ぎ、夕方まで呼び出しを食らうこともなくまもなくお迎えの時間である。 可愛さのあまり抱き潰してしまわぬよう、抱きしめよう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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