21時から、お風呂を磨いて、洗面台を磨いて、窓を拭いて、網戸を拭いて、キッチンの洗い物と換気扇のフィルターとシンクと排水溝を歯ブラシで磨いて、トイレを磨いて、玄関の小物たちを掃除して少し入れ替えて、作品を整理して、書類を整理して、床をドライシートで拭いて、水拭きをして、もう一度水拭きをして、近くのコンビニで片づけに足りないものを買い足して、そうしていたら「ゆく年くる年」が始まった。
程なくして、年が明けた。 あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 さっき昨日の大晦日のことを書いていて、今は新しい年になっている。 昔から私は、誕生日よりもクリスマスよりも、年越し元旦の方がなんだか感慨深い感じがする。 時間は何ら変わらず悠久にいつも通り過ぎただけのことなのに、人間が定めた時間と日付に気持ちを動かされて年替わりに感慨に耽っているようでは、厄年も気になるというものである。 しかしながら、人間は何かしらの節目を作ることで、自分を見つめ直すことを太古の昔からしてきたのであろうし、その効用においてはきっと計り知れないものがあるだろう。 節目の行事を丁寧に執り行うことも、それを敢えてやらないことも、両方に意味が生じる。 いずれにしても、作られた外界の節目は存在するし、それに意味があって、意味がない。 加湿器代わりに、濡らしたタオルをエアコンの風の出口にかける。 はっかオイルを含ませたら、清涼な温かい風が吹いている。 つるりぴかぴかになった部屋で、元旦の課題をするべく書き物をしようと、墨やら何やらを広げようとすると、どうにもつるりぴかぴかの床を汚す気になれなくて、ちんまりとセットを用意するにとどまった。 髪の毛一本が落ちているのが気になって、それを見つけた瞬間に拾い集めながら書き進める。 部屋はある程度汚れていた方が創作には向いているのかもしれない。 たっぷり寝たから全然眠たくない。 年始特有の音楽番組を流しながら課題を仕上げて、コンビニで買ったさつま司をオンザロックで。 あと少しになった干物を焼いて楽しむ。 なぜだかあまり酔えないので、これを書いている。 お雑煮が食べたい。 出汁がぎゅうっと出て、どろんとお餅が柔らかくて、最後はお餅の溶け汁がとろとろと口に流れ込んでくるような。 夜中は楽しい。 初日の出の頃には眠ってしまうだろう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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