先日作った鶏の手羽元で、久々にクリーンヒットを打てた。
昇天するようなホームランではなく、気持ちの良いクリーンヒットである。 私は料理は得意でも好きでもないが、日々の食事はそれなりには作っている。 計量スプーンもはかりも全く使わないので、その時々で味は安定しない。 だいたい許容範囲、ということにはなるのだが、時々、ダーツのブルを射抜けるように、狭い絶妙な美味しさの的に当てることが出来る。 鶏の手羽元をビニール袋に入れて、醤油と酒とみりんと片栗粉とチューブのにんにくを入れて揉んで数時間寝かせてオーブンに入れるだけ、なのだが、味の加減も染み込み方も絶妙なバランスであった。 チューブのにんにくを入れ過ぎたという認識だったのだが、それが功を奏したらしい。 しかし如何せん、肉も調味料も計量していないので再現性がない。 ただ、調味料を肉に染み込ませると美味しくなるというのは分かったので、いつもは塩コショウを振ってすぐに焼いていた、昨日も漬け鶏肉焼きを作ることにした。 みりんの代わりに蜂蜜を入れて。 まあ美味しかったのだが、先日のクリーンヒットとまではいかなかった。 蜂蜜よりみりんが良かったのか、漬け込む時間が短かったのか、にんにく量が足りなかったか、その他か。 にんにく量が決め手のように思い返されるが、分からない。 書でもそうなのだが、そのクリーンヒット、あるいはダーツのブルというのは、当然難しいものである。 しかしすべての要素が良い塩梅で作用して、どんぴしゃりと的を射抜くのは、まるで幻の雲を掴むようなことだ。 あのアレをもう1回、と考えうる手筈を全て整えても、そこにあるのは違う私と違う空間である。 だから全く同じアレを目指すことの不毛さに気付き、新しいクリーンヒットを打てば良いのだ。 がしかし、やる気満々で振りかぶっても、だいたい結果は芳しくないものである。 今日は鶏の手羽元を焼くことはしない。 Instagramに乗り遅れること早数年。 私は主に書のコミュニケーションなどはFacebookを通してやっているが、今やInstagramをメインに使っている人も多く、どのように参入すべきか考えていた。 Instagramは写真がメインコンテンツなので、その人の個人ページに行くと、ずらりとアップされた写真が並ぶ。 このスペースを雑多に汚したくないなあと思っていたのも、私にとっては参入障壁になっていた。 息子の一歳記念に写真館で撮影した写真をアップロードした。 そして、前々から少し考えていた献立日記を和紙の背景に1日ひとつ、載せていくことにした。 Facebookの方でやっている毎日の書に加えて自らノルマを課してみたがさていつまで続くのか。 あとはここに現代の骨董の書も載せていきたい。 しかし最近、毎日ひとつ、という縛りが自分にとって良いのか良くないのか分からなくなってきた。 ルールなど作らず、書きたいときに書いたものを載せれば良いというのもあるが、仕事でやる以上執念のようなものも重要なのではないかとも思う。 また現に、私は毎日の縛りの中で作品のクオリティを上げてきたように思う。 しかしながら、一旦始めると止めるのにも体力を使う。 だからルールを設けて始めることを躊躇っている。 始める前にぐるぐる回って足踏みしていることを良しとしているわけでもなく、なんだかもう・・・である。 https://www.instagram.com/p/CEEo_t_l0HL/?igshid=1d9qyjduk3uso あるいは、 「emiko.takeuchi.37」で検索できます。 この告知の仕方で合っているのか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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