私の高校時代の友人の結婚式に出席するべく、前回の帰省から3か月も経たないうちにまた帰省することになった。
金曜の午後から日曜の夕方まで、まさしく怒涛の休日で、私も夫も疲れ果ててしまった。 休日とは休む日ではなかったか。 息子だけは元気溌剌な月曜日の朝である。 前回同様、息子は金曜の給食まで保育園に行ってもらい、お昼寝の時間帯に新幹線に乗せるという作戦。 前回は東京駅を出るなり、息子はすやすやと眠ったので今回もそうなる算段であった。 そううまくはいかないのが子どもというものであることを、もっともっと骨の髄まで叩き込んでおかねばなるまい。 少しでも期待があると落胆が大きいものである。 息子は新幹線では一睡もせず、座席前の机を開け閉めしてみたり、自動ドアを探検しに行ったり、床を這い回ったりと、嬉々として新幹線を満喫していた。 新幹線の指定席は6割乗車くらいで、混んでもいなかったり、空いてもいなかった。 息子が発する声や音を、私は少し気にしていた。 幸い大声を発するわけではなかったので、制止はしなかった。 もしかすると乗客の皆さんの中には「なんで母親は注意しないのだ」と思っていた人がいるかもしれない。 しかしながら、たいていの場合は、制止するほどに子どもはヒートアップするので、ぎりぎりまで触れぬが吉と思っている。 新幹線を降りて、在来線に乗り換え、もうあとひと駅、というところで息子は私の胸の上で寝てしまった。 眠たくなったら寝るのである。 それができるのは実に良い健康法だと思う。 出席した結婚式では、高校卒業以来18年ぶりという面々もいた。 私は過去いつの時代も固定メンバーの仲良しグループというものに所属したことがなく、友人関係はほとんど1対1である。 好む好まざるということはなく、結果的にそうなっているだけだけれど。 新郎側の唯一の女友達として呼ばれたため、私は円卓に紅一点だった。 皆高校が一緒なので、全く知らないということはないのだが、ほとんど話したことがない男子ばかりであった。 私はそういう場の話が特に苦手なわけではないので、皆の近況を聞いていた。 皆36歳、37歳の男性、会社では中堅どころで、大きな案件の任務で単身東京で暮らしていたり、子どもが3人4人といたり、来春からハンガリーやブラジルに転勤になるなど、様々に生きているようだ。 しかしながらコロナ禍の結婚式のため、円卓には個別にアクリル板が設けられ、会話はとても聞き取りづらい。 時折息子はどうしているかなあとトイレに立って、夫に尋ねてみる。 けいこの実家に行ったりなどして楽しんでいるようだ。 宴は滞りなく終了し、同じ市内の友人の奥様が車で迎えに来ているということで、同乗させていただく。 奥様は大学時代ラオス語を専攻していたらしく、私もラオスに行ったことがあるので、車内ではラオスの話で盛り上がった。 皆、旧い友人と言えるほど関わりはなかった人たちだったけれど、同郷というものは良いものだなあと思った。 翌日には度々会っているこれまた高校の友人の家に遊びに行く。 友人には4歳と1歳の子どもがいて、2歳の息子と初対面。 この年だと一緒に遊ぶということはやや難しいので、皆それぞれにわちゃわちゃと遊んでいた。 夫は、4歳の男の子に自分の息子よりも好かれてしまって、昼食の唐揚げやごはんを「いまから僕唐揚げ食べるから、一緒に食べよう(一緒のタイミングで口に入れよう)」と言って、ひと口ひと口、一緒に食べていた。 息子は山のようなプラレールと、山のようなトミカで大変ご満悦な旅だったのではないだろうか。 やはり男の子のいる家は好きなおもちゃが似ていてたくさん遊べる。 ついでに、蒲郡みかんを山ほど食べた。 帰りの新幹線も全く寝ず。 帰宅後、納豆をあげたらもっと食べると言うから2パック食べた。 ごはんもばくばくと食べた。 夜は「明日から保育園だよ」と囁いて眠った。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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