引き続き、離乳食が悩ましい、というよりかはまた哺乳瓶でミルクを飲まなくなってしまって本当に悩ましい。
私の言葉が分かっているのではと推測される息子に懇々と哺乳瓶でミルクを飲んでくださいと話をするのだが、全く目を見て聞いてくれないどころか、おそらく話を理解しているから私の顔が行く方向からぷいぷいとそっぽを向く。 仮にこちらの言い分は伝わっているとしても、息子の言い分を分かりきれないのが不甲斐なく思う。 「あなたのことを思って」やっているのだけれど、息子からしてみれば「ぼくはそれを飲みたくないのに」に他ならない。 だから「あなたのことを思って」ではなくて、「あなたが飲んでくれたら、お母さんは嬉しい」と主語は自分にするようにしている。 水をスプーンで飲ませるついでにミルクをスプーンで飲ませるとおえっとやるので、哺乳瓶の乳首を嫌だし、粉ミルクの味もダメになってしまったのかもしれない。 母乳は大好きだけれど、もう本当に無けなしの量しか出ない。 カロリーや栄養摂取が少なすぎるのではないかととても心配している。 胸の奥深くに何かがつっかえているようで、酸素不足を起こしているような気がして、度々深呼吸をしている。 息子が産まれてここまで、それ程には苦労をしてこなかったように思うが、初めて子育ての大変さを思い知っているような気がする。 あの手この手、粉ミルクの種類や哺乳瓶の乳首、コップやスプーンで飲ませる、ストローマグを使う、温度、体勢、明るさ、色々いろいろ、やってみるけれどだめである。 全く別方向から息子の気分や調子を変えるために、昨日はいもうとの家まで遊びに行っていとこのおねえちゃんたちから刺激を受けてきたけれどそこの効果はあまり得られなかった。 ここまで来たらこの際実験的に楽しくやりたいのだけれど、なかなかそうはできず、結果的に息子を泣かせてしまうし、飲んでくれない精神ダメージを負ってしまう。 先日離乳食についてこのブログに書いたら、ある方から丁寧なアドバイスというかメッセージをいただいた。 ブログは書き手が基本的に王様だけれども、当然ながらコミュニケーションツールでもある。 しかしながら実際に行動に起こして連絡をくれるというのは少しだけハードルがあると思うので、そのハードルを越えて行動してくださったことにまず感謝する。 教えてもらった少々値の張る離乳食の瓶詰めを購入してみて、さっそく食べさせてみると、なんと、食べる。 ミルクが足りてないと思われるので、そこそこがっついた様子も見せる。 いもうとの家では、おかゆは足さなかったけれど、ひと瓶全てを1回で食べてしまった。 と言っても、45キロカロリーなので、カロリー的にはミルク100mlもないが、それでも大快挙である。 「食べない子は食べない」「食べないときは食べない」、その方も、保育士をしていた友人も、同じことを言っていた。 他の方も、飼っている犬やトカゲの話で同じようなことを言っていた。 皆同様に、心を痛ませて心配である、と。 人間のみならず、ペットも同じことであろうし、皆食べるというとてつもなく大きな事柄には何かしら難しさを孕んでいるのではないかと思う。 子育ての話というのは、他人からすれば、人生的に見れば短期的で狭小の課題を極めて声高に言っているように聞こえるであろう。 これは私がかつてそうだった。 そんなこと放っておいても解決するでしょう、それってこういうことでしょう、そんなことでぎゃんぎゃん騒ぎ立てなくても・・そんなふうに思っていたような気がする。 結果的にたぶんじたばたとあがいているうちに、たいていは当人たちにとっても過去の笑い話になるだろう。 しかし、日常その最中に絶えず身を置くとなかなかおおらかに考えることができないものである。 その上、息子の食べる寝る排泄するのパターンは、10日から2週間ほどのサイクルで様々細々と変化していく感じなのでこちらの行動や心がやっと追いついた頃には次のフェーズに移ってしまう。 「大変だったけれど大変だったという記憶だけあってあとはあまり覚えていない」と子育てにおいてよく耳にするが、これは対処対処に追われるが、その対処の内容が短期間だけで目まぐるしく変化していくからなのかもしれない。 ひと月伸びた確定申告と、出そう出そうと思っている保育園の認定手続きの書類作成と、眼前の極めて面倒な事項を片付けたら、息子のミルク離乳食問題にも春が来るだろうか。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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