息子の断乳というか卒乳が、おそらく、うまくいきそうである。
〇日にやめる!とそのうち決めようかと思っていたのだが、毎日夕方にこんこんと息子におっぱいは終わりということを話しかけていたら、その夜は不意にやってきた。 21時過ぎに寝る息子は24時になる前に一回起きて泣いて、おっぱいをもらうというのが通例である。 何となく、夜中の暗がりの中で、「もうおしまいだよ」と私は息子からおっぱいを遠ざけた。 その日はおっぱいにありつけないことに怒り、泣いて足をガンガン蹴りつけて暴れた。 互いに奮闘するも、私も寝たいので、「これが最後だよ」と私が折れて服を捲り上げた。 この日は未明にもそんな感じで暴れたので仕方なく私はおっぱいを差し出したのであった。 おしまいと言われているからなのか、乳首が引きちぎれんばかりに吸って、それでも話さなかった。 これは4日ほどまえのことか。 次の日、寝る前に「今日もおっぱいなしで寝ようね」と話しかけた。 いつものように、22時半頃に起きた息子はやっぱり泣いて怒った。 私は決意を新たに、「ないよ、ない」と優しく諭し、それでも暴れるので、暗がりのリビングに連れていき怒りの納まるのを待って、息子を抱きしめながら背中をさすり、ゆらゆら揺れた。 眠りに落ちそうになって、またおっぱいをよこせと怒り、寝たかと思ったら、またおっぱいおっぱいーーと怒り出す。 それを4,5回繰り返して、それでも私は揺れ続け、根負けした息子は再びの眠りに落ちていった。 夜深く、また目覚めた息子は暴れて私の服を捲ろうと引っ張って泣くが、私はそれを阻止し続けた。 息子は私の服に手を入れて触ることでようやく落ち着いて、そのまままた眠った。 また次の日、寝る前に寝室で息子とふたりきりになり、もう一度、向き合って、おっぱいをやめる話をした。 最近はすべて寝たまま吸わせていたが、息子が今よりもずっと小さかったころのように、私は胡坐をかいて座り、息子を太ももに乗せながら抱っこして見つめあった。 「今までおかあさんのぱいをたくさん飲んでくれてありがとう。今日で最後にするね。ありがとうね。これからも変わらずにお母さんは側にいるからね。」と私は言った。 息子はすこしすっとぼけた顔をしていないいないばあとふざけていたけれど、何となく聞いているような感じだった。 そのあと、そんなには出ないおっぱいを気の済むまで吸わせて、息子はそのまま寝た。 私はひと粒、ふた粒の涙をこぼした。 また次の日、いつものように23時ごろ目覚めた息子は泣いたけれど、私が背中をさすっただけでまた眠りに帰っていった。 明け方、私の服を引っ張って訴えたけれど、また背中をさすったらすぐに寝入った。 きっちり始めたわけではない断乳なので、どうせまた失敗するかなと思っていた。 今回はもしかするともうこのまま息子が私のおっぱいを吸うことはないのかもしれない。 そう思うと、もう反射的に目頭が熱くなってしまうのだけれど、でも、これで良いのだ。 私はへその緒から息子を切り離して以来の、第二段階の自分を取り戻すのである。 文字通りの血を分ける生活はもう終わりである。 悲しいのだろうか。 言い知れなく、悲しいのだと思う。 私には、一度始めた断乳を途中でやめるのは子どももかわいそうだ、という記事を誰かのブログで読んだことを思い出していた。 私には、息子への授乳において、言葉で片付けられない執着があったと言わざるを得ない。 所謂、愛、とは少し異なるような。 心よりも身体が悲しがっているような。 身体も授乳で疲弊しているはずなのに。 おっぱいをあげるという行為が、こんなにも深さのあるものだなんて私は知らなかった。 自分がこのことに、こんなにも執着するだなんて私は知らなかった。 何だろうか、全然まったく、上手く言えている気がしない。 複雑な気持ちである。 自分の観察者としては、自分のこの気持ちはそのままに暫く観察してみたいと思う。 そして、1週間後には、ビールも飲めるようになるのかもしれない。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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