木瓜の鉢植えの隣りに生えた雑草が、ついに木瓜の木の高さを越した。
木瓜は今のところ元気だけれど、小さな鉢植えの世界でこの後も共生することができるのだろうか。 名も知らぬ雑草に、本当は名前が付いていることを思うと引っこ抜けずにいる。 雑草という名の雑草はない。 しかし雑草も固有の名前も全て人間の分別によるものだ。 しかし私はその雑草を買ったわけではなく、木瓜を買ったのだから抜けば良いようなものを、その目覚ましい成長をベランダに出る度に微笑ましく思っているのである。 木瓜もその雑草も水が好きで、夏は2日に1度ほどやらないと大げさなほどに、しゅん、となる。 雑草の方は木の幹のように固くないので、葉と一緒に背骨の茎が大きくうな垂れる。 そうなった状態から水遣りをすると、全身に力が漲ったようにその背骨をピンとさせる。 これは切り花の百合でも見られて、植物はいつだって動いているということを私に知らしめる。 花の定期便で届いた芍薬は、ひとつは早々にメキメキと音を鳴らすように咲き、バラバラと散っていた。 もうひとつは固い蕾をぎゅっとしたまま、今朝一番外側の花びらがふわっと蕾の丸から離れた。 グラスを洗うブラシのような植物は、ブラシの部分が次第に白い細かな花になってきた。 アロマティカスはまだまだ元気にその丈を伸ばしている。 年末から始めた一日一書のフェイスブックグループに投稿した作品を整理する。 ある種日記のような性質があって、この日にどんな感じでどんな場所で書いていたかが思い出せる。 始めた当初よりは、作品を創ることに自由度が増してきた気がする。 継続は力なりとはよく言ったもので、たぶんこんな私でもこのことで少しは上手くなっているのではないかと思う。 しかしながら、よくこんな作品で出したな・・・と思うものをいくつかあって、闇に葬りたい気分にもなるのだが、戒めのために取っておく。 あと、写真は画像加工しているので実際の見え方と大きく違うものも多い。 今はスマートフォンでいとも簡単に色合いや風合いや背景を変えられて、雰囲気そのものが変わってしまう。 書を書だけで魅せられるようになりたいと思う一方で、その加工も自分がやる表現の範囲だろうかとも思う。 いやしかし、どんなヘタレ作品でも画像加工でAGEAGEになってしまうのは何だか少しの恐怖を感じる。 AGEAGEは変換の一発目に出てきたのでそのままにしておく。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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