最近、毎日の書を書くときにYoutubeを聞いていることが多い。
今更だが、YouTubeには膨大な数の動画がアップロードされていて、音楽系の動画は昔よく漁っていたが、それ以降は幼児向けの動画以外あまり自分で見ることはなくなっていた。 それは、この頃のコロナの影響で各有名人の方が動画を始めたなどという話もよく聞くし、身近でも書道のYouTubeをアップしている人もいるし、それより何年も前からユーチューバーだった人もいるわけで、何やらもう視聴者としても参入できないほどの興味深い動画がたくさんあるので逆に手がつかなかったからである。 きっかけは、ふと、おすすめ動画に上がっていたキングコングの西野さんの動画を見たことである。 彼は、お笑い芸人であり、絵本作家であり、国内最大のオンラインサロンのオーナーであり、会社の社長である。 テレビに出なくなったことや絵本を書いていることやビジネスマンとして注目されていることは以前から知っていた。 あとはもう芋づる式に関連動画が出てくるので、メンタリストのDaigoさんとか堀江さんとかオリエンタルラジオの中田さんや藤森さんや、カジサックや落合陽一さんや。 私は本を読むのが苦手なので、耳学問的に面白そうな話を聞けるのはとても楽しい。 しかし、Youtubeはテレビなどに比べるとかなり小さな人数単位で作られていて、主演者の意図や主張をとても強固に押し出してくる。 出演者の映像だけではなく、テロップもバズーカ砲のように連射されてくる。 まあ今上に挙げた人たちは、このような傾向がより強い人たちばかりかもしれないが。 身構えてしまうほどに圧が強いと感じるのは、私が聞いているその内容への素養などが少ないからだろうと思う。 しかしながら、自分の意見や見解を持たずして、「あるひとつの考えや主張」ではなく、「これが世の中の最先端の考えや主張」というふうに無自覚的に聞いてしまうと、聞く側にかなり偏りが生じてしまうのではないだろうか。 人気の高い動画というのは往々にして、端的であり、テンポが速く、刺激的なものである。 まあ私の場合片手間で聞いていることもあって、内容を詳細に思い出せないことも多いのだが・・・。 また一方で、内容よりも、その人のYoutubeの動画におけるスタンスのようなものがすごく頭にこびりついて、私の中でのその人の人間性を印象付けている。 発声の仕方や間の取り方、スピード感、誰かと対談するときに役割分担など、もちろんいろんな工夫の結果なのだと思うけれど、かなり人物イメージが固まってしまい、好き嫌いというか苦手に感じてしまうことも出てきてしまう。 まあ、私が彼ら本人にお会いすることはないと思うからいいのだが、残念に思ってしまうこともあるものだ。 今日は現代アートの解説動画などを聞いている。 このあたりのことは、最近少しずつ勉強をしているので、解説者が異なる場合にも言っていることが分かるようになってきた。 いかなる分野のことを知るときも、まずはその分野の歴史・文脈の大枠を知っておいた方が良い。 というか知らないと、歯牙にもかけないということになりかねない。 アートは感じれば良い、というのは最終地点であり、その前の素養を身につけることは、アートをより楽しむための下地になる。 重要人物、年代、主要作品、歴史的意味、そんなことがようやく少しずつ私に入り始めてきた。 ダダ、シミュレーショニズム、ポップ、ネオポップ、シュルレアリスム・・・ 私が現在のところ作品のテーマとしているものはあるのだが、果たしてどういう位置づけになるのかはよくわからない。 しかしながら、自分の作品について美術的に何か語れることがあった方が良いのかもしれないので、もう少し勉強を続けてみることにする。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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