コンビニのおにぎりを歩きながら二つ頬張った日、とても疲れてはいたけれどもう本当に出品が明後日で時間がないので、普段ならその辺で寝てしまうところ筆を取る。
だいたいいつも、何かを書くときは洋楽のブルースかロックをうっすらと流しているけれど、漢詩は直には意味が入ってこないので日本語の歌がバックミュージックでも書くことができる。 くるりとか尾崎豊とかキリンジとかフリッパーズギターとか、そのあたりを。 今回は本当にいくつかの意味で自分の不甲斐なさばかりを身に染みさせられた。 それもそれだけれど、やはり本当に全然ダメダメである。 それもそれだけど、と私は完全に落ち込んでしまうことをしないというかおそらく生命制御システム的にできないタイプなのだと思うけれど、今回はちょっと落ち込みもした。 いつだって、奇跡的に一番良くて、「今の私の最高」しか何事もやることはできない。 本当はもっと技術があったのに、もっと上手くできるのに、とかそんな言い訳も全部ひっくるめての「今の私の最高」。 「今の私の最高」はある程度やりきったらもう逃げ場なんてないわけで。 私は生徒さんによく言う。 「そのときの最高しか書くことはできない。去年の今頃の最高の字が、今の自分の普通や最低が上回っていれたらいいですよね。私たちはアベレージをじりじりと上げていくことしかできないんです。」と。 まあ偉そうなことをいうわけだけれど、結局全部自分に言っているようなものだ。 身体を使う作業に、いきなり何にもせずに急激に上手くなるなんてことはあり得ないと思う。 ただ、やっていれば、ちょっとずつやら大幅にやらたぶん必ず上手くなる。 桝野浩一さんの短歌集を買ってやっぱりいいなあと思う。 追加で2冊、また買った。 誰からも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け 「淋しい」と思ったこともないくらい淋しかったと気づいてしまう クールさを競い合っても死体にはかなわないから生きてる僕ら 結婚はめでたいことだ臨終はかなしいことだまちがえるなよ カッコして笑いと書いてマルを打つだけですべてが冗談みたい(笑) 絶倫のバイセクシャルに変身し全人類と愛し合いたい 数十首の中から私が拾った短歌はこのようなものだった。 物事は多面的なので、自分においても作者においても他人においても一義的に解釈することは避けたいけれど、桝野さんの短歌には私の心を鋭く突いてくるものがある。 巧いなと思ったり、羨ましかったり、ちょっとした悔しさみたいなものを感じてしまうのは、私が言葉の世界が包括的に好きだからなのかなと思う。 桝野さんは、ある生徒さんがお気に入りとのことで教えてくれた歌人の方で、他の人のレッスン時にも桝野さんの名前を私はよく出す。 ほとんど「バカリズム?」と聞かれるので、「ますの」という苗字のイメージ覇権はバカリズムが持っているらしいことを知る。 家でひとり、軽く酔っていると少しだけギターを弾きたくなる。 そんなとき、たぶんギターをもっと自在に弾けたならたぶんすごく気持ちいいだろうなあと思う。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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