軟禁が明けた。
先日裁判傍聴後に裁判所から出たときのように、空はやけに青くはなかった。 どんより曇っていて、確実な秋の匂いが蒸し暑い中に潜んでいた。 息子はめそめそしながら保育園に行ったけれど、仲良しのお友達に会えて嬉しかったようでご機嫌で帰宅した。 給食も完食したようで、これでようやく栄養の心配をしなくて済む。 日常が実に有難い。 よく言われることだが、子育ては思い通りにいかない。 それは主に私と別の個体であるからで、特に子育てに限らないようにも思う。 これは夫がよく言うことだが、「人ひとりは人ひとりでは背負えない」ということ。 人ひとりを背負おうとした人ひとりは、きっとどこかのタイミングでその人を背負ったまま倒れてしまうだろう。 そんなことが無いように、たくさんの関わりを例えばお金を払ってでもしておくことが吉であると、最近は切に感じる。 健康な大人はそれほど人の手を必要としないけれど、何かしらの介助が必要な子どもや大人がいる場合、なるべく多くの手を用意しておくことが望ましい。 まだまだ続く保育園選びも、そのことも優先順位を上げて考える必要があるかもしれない、と思い始めたところである。 息子は美容室で髪を切った。 誕生筆を作りたいと、一番最初の断髪から美容院に行って、なんだかんだそこに通い続けている。 息子も慣れてきて「ちょっきんしにいくよ」と言うとそれを理解しているようで、比較的スムーズにいくようになった。 散髪がスムーズに完了することが最重要なので、いつも、できるだけ早く仕上がる感じで短くしてください、とオーダーする。 特別な髪型の好みなどは私にも息子にもない。 しかし、散髪途中、前髪を丸くぱっつんと切ったらあまりに可愛らしい。 いつもは一旦ぱっつんにした前髪を漉くのだがあまりに可愛らしいのでこのままにしてもらった。 ついでに後ろを刈り上げてもらったら「コボちゃん」みたいになった。 コボちゃん風の息子の写真を撮って、コボちゃんのイラストをネットから拾って合成して、けいこやいもうとに送る。 大きくなったとはいえ、まだまだ抱きかかえられるほどに小さくて、髪もふわふわしていて、お肌もつるつるで、稚い言葉を話す。 「かわいいねえええ」と私は一日に何度も言って、ぐちゃぐちゃに抱きしめる。 息子はやっぱりお母さんが一番好きなので、私に撫でられるとまんざらでもない顔をして、しっぽをぶんぶん振る犬のようにこちらにめり込んでくる。 かわいい。 かわいい。 かわいい。 さて、秋の句会。 コロナや息子を言い訳にすることはいくらでもできるのだが、またまた提出が遅れてしまってそのことがやや問題になっていた。 次からは遅れないように頑張ろう。 若白髪ずる賢くて秋隣 踊り場でみんみん蝉のひっくり返る 例えれば紙魚の未来を知らぬ夜長
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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