案外、最高の一日だった。
披露宴当日のことを疑っていたわけでも蔑んでいたわけでもないけれど、あまり予想もなかった予想以上の楽しさというか嬉しさがあった。 主催側が言うのも変だけれど、展開に滞りなく、緩急のある良い宴だったのではないかと思う。 披露宴の開催を迷ったという経緯があるが、本当にやって良かったと思う。 私は自分が中心となって特別に大人数の何かを主催するということは今までほとんどやってこなかった。 多くはない人数の飲み会の幹事でさえも。 まあでも結婚披露宴は、しきたりと会場のプランナーさんたちに従っていけば何とかなるだろうと思っていたのてさほど重たくは考えていなかった。 しかし実際には、非常な大変さがあった。 衣装、ヘアメイク、テーブルの花、食事や飲み物、席次、プロフィール紹介やバックミュージックの選曲、お礼やお車代、引き出物やプチギフトや各人へのプレゼント、決めなければいけないことだらけ、選択の嵐だった。 同時にそれは、プランナーさんや招待客や諸々を発注する店などとの連絡の嵐でもあった。 ほとんどお金がらみのことであるし、披露宴とはそもそも社会制度に則って婚姻し、それを社会的に発表する場であるから社会的仕事力が問われる。 また、プランナーさんから提示されるものから全てを選べばそんなに大変ではないのかもしれないが、自分たちらしさ、なんてものも結局多量に盛り込みたいわけで、そうなってくると想像力も創造力も必要となってくる。 何かを選択するということは何かを選択しないということでもあり、こうしたいという思いのコストパフォーマンスを考えながら選択をするのは本当に骨が折れることであった。 たくさんの人を巻き込んで、たくさんのお金を支払って、途中で放り投げるなんてこともできない。 しかしもし披露宴をやらない選択をしていれば、嵐が吹き荒れることもなかったのにと何度かは思った。 日に日に重たくなる身体もあったし、ドレスが入らなくなるかもという不安も募るばかりだった。 結局、招待状、宛名書き、各種メッセージ、ウェルカムボード、席札表裏、メニュー、席次表、ゲストテーブルの飾り物を自作した。 なぜかウェルカムボードでちぎり絵をすることを思い立って、初めてのちぎり絵、と言っても簡単な構図ばかりだが、千代紙をひたすらに千切って貼りまくるという作品を合計で七点を三晩で作った。 円卓でどこにも作品があるようにとポストカードサイズの作品を20点ほど、宴の前夜の遅くまで書いて額装した。 こだわる、ということは際限なくどこまでだってできる。 実際に手を動かし始めたのが遅すぎたが、その前にもたくさんの構想を事あるごとに発想して頭に溜めこみ、買うべきものを揃えていった。 席札と受付を木にしようと、家具屋の端材を買ったのは我ながらなかなか良い発想だった。 席札の裏には、その人からぱっと連想される言葉を書いた。 これらの作品は多くが持ち帰っていただけたらしい。 会場のスタッフの方々が無理やり皆さんに持たせたのか定かではないし、行く末は分からない。 まあ作品の行く末は良いとしても、本当に悔やまれるのは、この数日間で作ったこれらの作品の写真を撮り忘れてしまったことである。 結局、時間をかけて生み出したものの思い出が最も愛おしいのは製作者なのである。 誰にどれが渡ったのかわからないし、私の思うように撮影して画像を送ってくれというのも言いづらい。 しかし本当に悔やまれる。 それもそうと、友人のスピーチが素晴らしすぎて、私が唯一宴中に泣いたのは彼女のスピーチであった。 彼女とは私の精神の開拓黎明期を共にしているから何とも思い出があり過ぎる。 しかしながら、その思い出も十分に手伝っているが、とにかくスピーチのパフォーマンス力に身震いさえした。 話の掴み、構成展開、言葉の選び方、声のボリューム、スピード、抑揚、視線、間の取り方、演技力演出力、世界観、度胸、ロックンロール、愛情。 どれもが百点満点と言って良いほどだった。 しかも、考え抜かれた起承転結の文面であるのに、その場の臨場感や対応力まで完璧であった。 彼女自身の持つ可愛らしい朴訥さは、このスピーチに限っては織り込み済みのようにも思えた。 技術力に即興力、彼女のことを見くびっていたわけでは決してないが、想像以上だった。 スピーチのプロフェッショナルでもないのにプロフェッショナルの所業だった。 長めのスピーチの結びに、彼女はいきなり「うたいます」と宣言して、ブルーハーツの「歩く花」を歌の途中からアカペラで歌い始めた。 そこまでの流れにももう涙は止められなかったわけだが、彼女の大声の歌に本当に久しぶりにロックンロールを見た気がした。 私のためにこんなにも一生懸命にやってくれたというのもあるが、それよりも上質なロックンロールライブを見られたそのことに感動したのだった。 彼女は自分が好きなことを多くの観客にパフォーマンスするとき、最も輝きを増し、彼女の持つ一番の花が開くのかもしれない。 自分自身の花の種が、どんな種類でどんなふうに育てると最も生き生きと開花するかを知ることは案外難しいことだと思う。 あのスピーチを作るのはとても大変で面倒だったと思うけれど、たぶん彼女自身もあの場のあの役をやったことには満足しているのではないかと思う。 どんなにお礼を言おうとも、あれは自分のためでもある、と彼女は言うだろう。 とてもとても、有り難かった。 とてもとても、尊敬した。 宴が終わって、ようやくドレスから解かれ、控え室で冷めた婚礼中華料理を、興奮冷めやらずもぐもぐと食べた。 食べる時間が全くなかったわけではないのだが、食べると気分が悪くなるかもしれないという思いから宴中はほとんど箸をつけなかった。 前日に、腹の子には「明日は締め付けるけどごめんね、良い子でいてね、よろしく」と念じておいたおかげなのか何なのか、ドレスで気分が悪くなることもなかったのは幸いである。 一日明けてご祝儀の集計や、費用の収支をまとめるなど。 友人の「歩く花」を思い出すと今でも涙が滲みそうである。 他にもエピソードはあるのだが、友人のせいで書けないということにしておこう。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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