なんだか結構本当に忙しくて、いっぱい寝てしまう。
肉体的疲労は寝ないと解消しないタイプで、しかしとてもたくさん寝てしまうので、それはそれでもったいないことをしたなあという気分にもなってすっきりしない。 痛くないときに厳密に痛いことが思い出せないように、忙しくないときには厳密に忙しいときの気分が思い出せない。 忙しいときというのは、こんな感じだったなあと他人事のように思ったりもする。 とか言って、いっぱい寝たり、ブログを書いたりもする。 29日から2泊だけ、いもうとに頼まれて姪たちと一緒に実家に帰省するのだけれど、それをめがけて、もう少しでお休み!という久しく味わっていないサラリーマン気分になっている。 いつもは特に休日を設けているわけでもないし、特に休日が欲しいとも思わないのだけれど。 いつも一泊もしないうちにお腹いっぱいになってしまう帰省だけれど、いつも帰省の前は少しだけ楽しみだったりもする。 帰省した翌日の昼ごろには「あぁもう東京に帰りたい」と本気で思って、程なくして新幹線に飛び乗り愛知県に背を向けながら爆走して東京に戻り、自転車を走らせて自分の部屋に戻る道中には「なんていい風なんだ」などと本気で開放的な気持ちになる。 どちらも確かなことで、この気持ちは何なのだろうと、ずっと保留している節がある。 少しの解放のための少しの抑圧を味わいに行っている、のだろうか。 私の身は戻る場所があって安全である、と思っている、のだろうか。 単にちょっと遠くへ行きたい、のだろうか。 どれも少しはそんな節があるけれども、どれもしっくりは来ていない。 寝過ぎて滞っている血流を回そうと、久しぶりにブルーハーツをシャッフルで流しながら片付けをする。 トイレを磨いて、お風呂を磨いて、床を磨いて。 床を水拭きしていると、ぴちっと小さく墨が飛んでいるところがいくつかあって、それをごしごしと力を込めて拭き取る。 「PAN」というアルバムはあまり聴いてはいなくて、あまり知らないなと思う曲が流れるとだいたい「PAN」の中の曲だったりする。 その中の「ながれもの」という曲が今日は引っかかって、良い詞だなと思う。 「ながれものには惚れてはならぬ」というのは、Oasis の「Don't Look Back In Anger」の中でも同じようなことを言っている。 部屋は随分とすっきりして、血流もどーっと回り出して、水を飲んで、ビタミンCを飲む。 作ってあったかき玉汁に鶏の手羽元を入れて再度煮る。 肉の下味、というのは付けるのが当然であるようだけれど、その効力を実際にあまり感じたことがなかった。 私が作るのはほとんど水分の多い煮物だから、肉の下味を付けたってスープの中に溶け出てしまうからスープの方の味を調整すればいい、と思っていた。 スープに水を足したので塩気をと思って、何気なく塩胡椒を手羽元に振ってから入れたら手羽元がとても美味しかった。 胡椒はピッタリ肉に張り付いたまま剥がれないのか。 おそらく塩も肉に浸透して味が付くのだろう。 珍しく春ドラマをいくつか初回から録画して観ている。 録画してなかった「ゆとりですが何か」を第2話を不意にリアルタイムで観たら、これが一番面白い。 なるほど、宮藤官九郎なのか。 私は、忙しいのではないのか。 デニーズのキウイフレッシュが人に伝えたいくらい美味しい。
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勿忘草
無論書道のこと、否応なく育児のこと、などの雑記です。文字自体も好きですが、文を書くのも好きです。 カテゴリアーカイブズ
3月 2024
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